大深度地下空間の公共化
先日、都内某所へと出掛けた。三連休の前日ということもあってたいへんな渋滞で、どうにか高速道路に入ったものの、都心の西麻布までわずか2〜30kmたらずの距離を走るのに2時間近くもかかってしまった。首都圏の渋滞によるロスの大きさにはいつもながら辟易させられる。
この道路渋滞で思い起こしたのが、最近何かと騒がれている道路特定財源の一般財源化問題と、ムダな公共工事への批判である。造っても壊すまで赤字の垂れ流しで、利用料ではその維持費すら稼ぎ出せず2〜30年もすれば粗大ゴミとして捨てられる各種施設を全国にばら撒くように造っている。まさにこれは、地域の失業対策と地域振興の名目のもとに、公共工事の金で票を買うといってもよい長年に亘る土建政治がもたらす弊害そのものと言ってよい。
なぜ、大都市圏ではなく、地方で次々と公共施設が野放図に建てられるかと言えば、同じ予算を消化するに当たって、地方のほうが数倍旨味があるからである。予算総額が同じならば、土地代が安いほど建築費に資金が投入できる。つまり、100億円の予算で、大都市圏なら8〜9割が土地代で消え1〜2割しか工事費としては残らないが、地方なら土地代が1〜2割で工事費が8〜9割となる。よって、地価の安い地方で公共工事を行うほうが土建会社にとっては潤うこととなる。道路を造り、ドームを造り、ダムを造り、その工事が国民に有益かなどは念頭になく、どれだけ工事に税金を投入し、その結果、どれだけの票を集められるかが政治家の一大関心事であり、それが今の腐敗した政治システムの根底を成しているのである。
こうした弊害が小泉政権で糾弾され、公共工事を削減し、道路特定目的税の一般財源化を促進せよ、という機運の盛り上がりとなっているのだろうが、私はむしろ今こそ高速交通物流・情報ネットワークの確立を図るべき時ではないかと思う。用地の買収に反対者が一人でもいれば工事にかかれない現在の在り方を改めて、今や発想の大転換を図り、100%工事費の大深度地下空間の活用はどうであろうか。法を改正して、地下60m以下の空間を地権者の権利の及ばない公共空間として有効利用し、21世紀の街づくりを考えてみたいものである。
地上部は太陽と緑とせせらぎに満ちた自然で快適な暮らしの空間にする。地下部は地下鉄とともに電気・ガス・光ファイバー・上下水道はもとより、交通・物流のための循環道路・横断道路・地下駐車場を完備、貯水槽や調整池、戦略的備蓄庫、廃棄物処理施設も設ける。こうした孫子の代にまで使える有意義な施設の公共工事を、談合を廃して競争原理のもと、大々的に行えば、需要が創出され、雇用が生まれ、失業対策ともなり、景気を刺激することにもなるのではなかろうか。
|