現下の閉塞感は資産デフレにある
先日、ニューオータニで池口恵觀法主の主催する「恵觀の会」が開催され参加した。その会はフリートークの形式で経済や政治の見通しなどを論じ合う会で、羽田元総理や前法相の保岡国家戦略本部事務総長など国会議員5〜6人のほか、ジャーナリストや官僚、大学教授なども加わって話題は様々に及んだ。私も指名を受けて、現在の景気低迷と日本を覆う閉塞感は10年に亘ってスパイラルに続く資産デフレにあり、未だそのケアが十分になされていないことが原因であると語らせていただいた。
その経過を辿たどると、プラザ合意(85年)がもたらした円高不況の進行に歯止めをかけるべく公定歩合を5回に亘って半分の2.5%にまで引き下げた金融緩和策と、ドル買い介入による過剰流動性の増大を放置してバブルの高騰を許した当時の金融政策当局の責任も重いが、その後の一転してのバブル潰しともいうべき諸施策も見逃すこともできない。すなわち、不動産取引監視区域制度の導入(87年)や、日銀による89年5月から90年8月とわずか1年3ヵ月の間に2.5%の公定歩合を6%に棒上げ、そして大蔵省は不動産融資総量規制の発動(90年4月)と、地価は高すぎて大変だというマスコミに踊らされて、ジャーナリスト、政治家、官僚、エコノミストまでもがこぞって実際の取引で出来た地価をバブル前の水準までに戻すべきだと囃し立てて、地価暴落を誘導した。そして下り坂にアクセルを踏むが如く地価税の創設・土地譲渡益重課税制度(92年)と、大幅な3〜7倍へと固定資産税の評価替え(94年)で地価の下落を一層加速させたことが、今日の閉塞感といまだ回復の兆しを見せない景気の低迷の原因である。
本来、地価は金利程度の上昇が望ましいのに、皆で始めた地価の値下げとはいえ、ここまで値下がりしたにもかかわらず地価の下落に歯止めをかける施策(不動産の流通と保有にかかる税の減税と、不動産規制の大幅緩和)に手を付けない。
需要と供給で物の値段は決まる。みんなが欲しい時に売れば高く売れ、みんなが売りたい時に買えば安く買える。地価の高騰が世間を騒がしていた頃に、本来は冷やし玉として一気に売ればよい国鉄清算事業団用地の売出しが、競売は地価の高騰を煽るものだという経済の理論に反する報道に翻弄され売出しを中止した。
そうした環境の中で、ようやく矢継ぎ早な地価下落政策が効き始め地価が下がり始めた矢先に、今度はNHKをはじめマスコミがよってたかって地価を下落させなければいけないというキャンペーンを始めた。
地価を取引事例法で評価していた金融機関をしり目に収益還元法で評価すべきだと考えていた私は、この高騰期をチャンスと捉え、多くの賃貸用資産を高値で売り切った。そして得た多大な利益を、今度は赤字と損益通算をして節税をする必要性から緊急避難的に急速赤字の図れるジャンボ旅客機を購入し、リースすると共にハリウッドで映画の制作を始めた。これは、こうした売買で得た利益は付加価値生産によって得た利益ではなく投機の利益であるのに、社員が儲かっていると錯覚してはいけないと思ったからである。
10〜12年償却のジャンボ旅客機は、リースすれば始めの5〜6年は大幅な赤字であるが、後半は一転大幅利益に転ずる。そして今度はこの利益を本格節税すべく、償却資産のうち最も節税効果が高い資産としてホテルに投資することを決めた。
賃貸マンションやオフィスビルへの投資は建物のみであり償却期間が長い。しかしホテルの場合、内部の備品であるベッドや冷蔵庫、テレビなど、一品20万円(現在は10万円)以下のものと、開業準備経費はすべて初年度に一括償却できるというメリットがある。すなわち、バブルで得た利益を緊急避難的にジャンボ旅客機を買って赤字を作り、今度は利益が戻ってきた段階でホテルを1万室つくる事業展開をしようとしたわけである。
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