2001年 6月号


IMFの円安容認に危機感を持て

 「IMF、円安を容認」の見出しが、私の目に飛び込んできた。そこには、「国際通貨基金(IMF)の杉崎副専務理事が為替水準について、最近の円安は日本経済の弱さを反映した妥当なもので、IMFが現在の円安傾向を事実上容認している」と報じていた。また、「邦銀の不良債権問題は国際的で厳格な基準で規模を把握することが第一で、必要なら、公的資金による資本の再注入も排除すべきでない」と強調したことも掲載されていた。
こうした発言が、IMFをはじめ、国際的な見方として、日本の不良債権問題が今発表されている規模ではなく、隠された部分がまだまだあるのではないのかという懸念から生まれたものであることは言うまでもない。それをなぜか好意的に捉え、ほっと胸を撫で下ろした観が日本側にあると感じたのは私だけだろうか。円安容認を手放しで喜んで良いとは私には到底思えない。
現在の日本に漂う閉塞感は10年に亘って続いている資産デフレ、すなわち地価の下落にあり、これに歯止めを掛けない政策不況であると、このエッセイで何度も主張してきたが、まだ不動産の取得と保有と譲渡にかかる減税を充分に行わずに放置し続けた結果の資産デフレ不況が原因であることは言うまでもない。
今回のIMFの発言は、日本の不良債権問題は想像以上に深刻であり、ゆえに円安容認も仕方がないというものであるにも拘わらず、日本側の安堵感は一体なんたる危機感の欠如であろうか。円安とは早い話がドル換算ベースで日本の資産価値が下落すること。同時に日本の所得水準が下がることを意味している。本来円高こそ、日本の国力の象徴であって、円安は国際的に資産と所得を減らすものであることを、この際しっかり認識すべきであろう。


一次所得者のみの住宅需要

 日本はこの10年食物連鎖のごとく銀行に集まってきた不良債権の処理を低金利と税を使っての公的資金の導入に依拠してきた。しかし、思うように不良債権の処理が進んでいないのが現状で、バブルの高騰を許した責任も大きいが、不動産融資総量規制や地価の監視区域の設定、譲渡所得の重課税や、地価税の創設、固定資産税・公定歩合の棒上げで、下がりつつある地価に追い撃ちをかけて急速崩壊に追い込み、今なおその固定資産税の増税を放置していることの連帯責任はもっと大きい。なぜ連帯責任かとなれば、大蔵・日銀・マスコミ・政治家・世論がこぞって地価は高過ぎる、土地の値段は下がれば下がるほど良いと囃し立てた失政の付けが、今なおとどまらない資産デフレを引き起こしているからである。しかも、地価が下落一色の今日になっても、いまだ地価が下がり続けることは良いことだと言って憚らないマスコミ一般や評論家諸氏の石頭的見解には呆れてしまう。地価は収益還元価格に収斂され、インフラの進んだ収益率の高い都心部は値上がりに転じ、一方、農地や戸建て住宅地等は農産物の輸入拡大により今後も下落するが、全体としては下げ止まるとともに今後は金利水準程度に上昇をしていくことが望ましい。それまでは不動産の価値を高めるために、取得と保有と譲渡に極力経費をかけないように、大幅な不動産減税を断行するとともに、土地の利用価値を高める施策を講ずるべきである。
負債とセットで持っている自らの住宅価値が目減りしていくことを嬉しがる人はいない。含み赤字が膨らむばかりなのに、口を開けばもっと地価が下がれば良いという人が多くいるのを見るに付け、インプットされた誤った先入観念の恐ろしさを思い知らされる。もし諸外国でこのような資産デフレが数年間も続いたら、いますぐ地価の下落を止めろ!とデモが繰り返されても一向におかしくない。
資産価値の目減りにより、住宅を売りたくても希望通りに、あるいは購入時の金額ではとても売れない。これでは住宅産業は1次取得者層のみにしか需要がない。企業にしても事業で利益を上げても、持っている資産の含み赤字が増えていけば利益は相殺される結果になる。これでは景気が上向くわけがない。


債券バブルの崩壊を危惧

 資産デフレによる全ての不良債権は、不動産会社→ゼネコン→ノンバンク→金融機関へと流れ、やがて大手銀行に集まり、それを償却するために公的資金の導入、すなわち税金で賄うというのが目下の金融でもってのケアである。そのケアの特効薬として実質0金利に戻したわけだが、私に言わせれば、この超異常低金利は、預金者から金融機関や借金棒引き企業、債務超過企業への所得移転以外の何ものでもない。
しかも、0金利政策により、日銀から資金がどんなに出ていったところで、羹あつものに懲りて膾なますを吹くの例えのように、金融機関は値下がりする未来の担保評価額にこだわり、プロジェクトの内容の審査や経営手腕の評価もせずに、いまだ不動産担保主義から脱せられず、担保を著しく低額に評価し、実質的に長期の設備資金等の融資には資金を回そうとしない。
そのうえ、金融機関は当面の収益確保のためにと債券投資に走り、緊急経済対策のためにと乱発する赤字国債を一手に引き受けているというわけである。金利が年々下がり続ける中で、今までは債券が上昇してきて大きな収益源となっていたが、まさに今が「債券バブル」の頂点であると私は思う。今の超低金利が正常であるわけがなく、0金利がいつまでも続くわけがない。資産デフレに歯止めがかかれば、今度は債券バブルの崩壊が再び金融機関を襲う可能性が極めて高い。日本経済はこの先2,3年以内に債券バブルの崩壊により、また金融機関は危機に見舞われる可能性が高い。その際に、今進められている経団連が主張する日銀特融による株式買取機構に加えて、またまた大きな痛手を被った金融機関を救うために公的資金が導入されるとともに、全ての銀行は実質的に国有化され、日銀は国債の買い取りをするようになる。そうすればその行き着く先はハイパーインフレーションでしかない。そしてこのハイパーインフレを退治するための金利の棒上げは日本発世界大金融恐慌となりかねない。そう考えれば、今から債券バブルのソフトランディングを図っていかなければいけない。


創造力と破壊力を持ったリーダーが必要である

 そんな待ったなしの状況下で、国際的な視点で日本の将来を見据え、経済や金融にも長けた指導者の登場が熱望される。が、自民党の総裁選を見るに付け、不安が広がるばかりである。果たして、立候補者の中に、世界に通用する歴史観と世界観を持ち、国際時事・経済と金融に造詣の深い人がいるのだろうか。21世紀はグローバル経済社会といわれる中で、今まで米国の半植民地的支配に甘んじ、米国のための貯金箱として戦後の漁夫の利で蓄えた1300兆円が今、外資に低利で資金提供され、その資金で今度は日本の優良資産・企業が安値で買い叩かれている現状である。
確かに冷戦終結までは米国に国の安全と平和をおまかせして、自らは経済活動のみに徹して米国の指示されるままにしていれば、非効率で高物価ではあるが、それなりにうまく機能していた時代であった。しかし、これからも官僚の天下り先にと作り続けられた何万とある公社公団とその関係会社などを維持するための税の垂れ流し、政・官・業の癒着と慣れあい談合の護送船団方式による既存・大手優位の業界システムを続けていけば日本の将来はない。新世紀の国際社会を生き抜くには、もっと創造力と破壊力を持ったリーダーが必要である。そして、そのリーダーが選抜されるシステムが必要だ。しかし、今の派閥の論理に差配される総裁選挙で、最大派閥経世会に対抗しての派閥解消を訴える小泉氏が選ばれるには、予備選に圧勝する必要がある。しかし、圧勝してうまく小泉政権が誕生しても参議院選挙で自民党はかなり厳しい戦いを強いられるだろう。ましてや、バブルを潰し、今次の不況を創った橋本元大蔵大臣が再選されれば、参議院選後も現在の連立政権が続く可能性はない。そう考えると、小泉氏が総理に選ばれるとともに、現在の自民党(経世会)的体質を一掃して、広く破壊力と創造力のある人材を2,3回生議員や民間にまで求め、官僚支配の政治体制を打破し、参院選の前哨戦である6月24日の都議選において、全力をあげて自民党は勝利しなければならない。
この10年、政局の混迷は全て経世会(橋本派)の責任と言っても良く、政党も派閥も、政策ではなく選挙に勝つためのボランティア組織と成り下がり、数の論理と派閥の順送りで人事ポストが決まった。これは、ある意味では平和の証であって、今まではこれで良かったかもしれないが、これからはこれでは駄目だ。選挙のためにだけ組織された野合のボランティア団体は、自民党だけでなく民主党も水と油を混ぜたような政党であって大同小異である。選挙に勝つためだけに集まった選挙互助会的政党ではだめで、このあたりでガラガラポンではないが全ての政党は基本的政策が一致する人が集まる政策集団としての政党に脱皮していかないと、政治は国民の信を失ってしまうに違いない。
国民は自らの未来に誤りがないように正しい選択をし、無責任な評論家やマスコミ報道に惑わされることなく、冷戦終結から10年も続いた政治的・経済的混迷に終止符を打つことが望まれる。

最後に、新世紀に入って暗いニュースばかりが続いたが、今朝の「雅子さまご懐妊兆候」の報道は本当に明るいニュースである。無事ご出産されることを心よりお祈り申し上げたい。少子高齢化社会にある日本が、この目出度い朗報でこれを切掛けに第3次べビーブームの到来を期待したい。閉塞社会にあって、久しぶりにすがすがしい風が日本全国に吹いたような感じがして、一陽来復朗らかな気持ちになった。



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