藤 誠志エッセイ
二十世紀技術、総点検の時


我が国史上最悪の放射能事故

 茨城県東海村のウラン加工会社ジェー・シー・オー東海事業所で起きた臨界事故は、半径10キロ以内の住民32万人に室内退避を迫る我が国原子力史上最悪の出来事として、国民にかつてない不安と衝撃を与えた。この事故の調査が進む中、作業員の臨界に対する知識の無さと、杜撰な作業手順が明らかになり、原子力そのものへの不信感が国民の間に広がった。
 一定量のウランを一箇所に集めたら臨界が起こるのは原子力のイロハであり、そんなことも分からない作業員が制限量の7倍ものウラン溶液をバケツで沈殿槽に入れれば、臨界が起こるのは当然のことである。
 中性子によってウランが分裂し、さらにその分裂に伴って2.4倍の中性子が発射され、次のウランの分裂に至る。この核分裂の連鎖反応で急激にウランの分裂が生じ、大量のエネルギーと中性子などが発生することが臨界である。これが一気に起こるのが原子爆弾で、原子力発電とは、放射能を遮蔽できる炉内で、中性子を吸収する制御棒を出し入れして核分裂をコントロールしながら、発生させた熱エネルギーでタービンを回して発電することである。
 今回のような事故が生じたために、原子力発電に対する国民からの風当たりはまた強まり、政府は対応に苦慮することとなったが、日本の総発電量の3分の1以上が原子力で賄われている現在、原子力発電を止めることはできないし、地球環境を考えれば、二酸化炭素の大量排出を招く化石燃料を利用しての火力発電はこれ以上増やせない。自然のエネルギー(水力・風力・波力・太陽光・地熱など)を利用しての発電に切り替えるには、時間とコストが掛かり過ぎる。そうなれば、注意深く原子力をコントロールする技術と扱う人のモラルの向上を図り、危機管理への対処法の整備が急がれることとなる。
 それにしても、今回の事故は原子力の取り扱いに対する慣れと油断が招いた初歩的ミスであり、町工場となんら変わらない外観のウラン加工施設があんな街中にあろうとは、事故が報じられるまで日本国民の何人が知っていただろうか。近隣の人々にとって、放射能漏れを防ぐ防護壁など存在しない町工場風の建物の中で、臨界事故が発生しようとは考えてもいなかったに違いない。むしろ、原子力の専門家でもまさかそんな愚かなことをしているとは思っていず、その「まさか」が起きてびっくりしたのが現実であろう。


2000年以降はサイクルしない技術と共生する時代

 放射能汚染の可能性があるにも拘わらず、そんな危険な工場を街中に野放しにしていた監督官庁にも問題がある。また、作業の効率を上げるために、決められた手順を無視して裏マニュアルと称する手作業を長年にわたって行ってきたジエー・シー・オーも問題だ。しかし、むしろ充分な検査・監督ができていない現在の原子力行政にこそ大きな問題がある。本誌本年10月号9月5日発行)の本稿で、『本来、技術は自然循環型であるべきで、雨が降って川となって海に注ぎ、蒸発して雲になり、そして雨となる。このようなサイクルが地球を無限の星として維持してきた。しかし、20世紀になってからは、人間が作り出し、排出する汚染物質により地球は有限となってしまった。原爆実験や原子力発電所の事故による放射能汚染、放射性廃棄物の深海への不法投棄、フロンによるオゾン層の破壊、硫黄酸化物による酸性雨、化石燃料の燃焼による地球温暖化など、うすら寒くなる話題には事欠かない』と述べたように、まさに今回の臨界事故は、自然循環型でない技術が生み出した悲劇とも言える。サイクルしない技術であってもここまで普及してしまったら今やめることは不可能なだけに、今からは、こうした技術と共生していくことを考えるしかない。
 今回の事故を知った時に、私の脳裏を掠めたのは人為的な破壊工作が原子力発電所を襲ったら、どうなるのかということだ。日本の危機管理は戦後54年間の平和ボケで、心細い限りである。原子力発電所が通常ミサイル弾などの直撃を受けても原子炉の破壊までには容易に至らないと思うが、世界を見れば破壊工作は日常茶飯事に行われている。もしゲリラが侵入して破壊工作を起こし、制御棒を原子炉から引き抜こうものなら、たちまち制御不能の急激な核分裂でメルトダウン(炉心溶解)や核爆発を起こし、チェルノブイリに匹敵する放射能汚染事故が発生する。
 そう危惧する私にすれば、原子力発電所の警護がガードマンでは危なっかしいにも程がある。完全武装したゲリラの襲撃に対して警棒しか持たないガードマンが原子炉を守っている国は日本以外にはない。外国では、軍隊が管理をしているのが常識なのである。
 事実、今回の事故において、α線やβ線・放射能塵はともかく、防護服では防ぎようのない中性子線などの放射に対して自衛隊も派遣できず、放射能の恐怖に作業員も住民も外にも出られず、眠れぬ数日を過ごす羽目となった。要するに、臨界事故など絶対に日本では起こり得ない、と何の対策も考えていないという油断があったのである。被爆国日本の放射能事故防止技術の優秀さを過信して、米国やロシアのような杜撰な管理による事故はないと。
 しかし、事故は現実に起こった。そして、それは国民には寝耳に水の出来事だった。


実害より大きいマスコミによる風評被害

 残念ながら、日本人は何か事が起こってから驚き、そしてマスコミも一斉に便乗報道する。かつて、本誌(平成9年3月号)でナホトカ号の重油流出事故に関しても『原油は古代生物の残滓であり時間が経てばバクテリアが分解し自然に帰る。流れ着いてしまった重油は天候を見ながら整然と回収を図るべきで、ヒステリックなマスコミの報道は風評被害の増大をもたらすのみである。』と述べたが、まさに今回もマスコミが書き立て、その結果、実害よりも大きい風評被害を発生させた。


有事法制整備により危機管理体制の確立を

 日本人は、有り得ないと思っていたことが起こると、慌てふためいて泥縄式に対処しようとする習性がある。例えば、オウムによる地下鉄サリン事件など、その典型と言えよう。あの事件が起こるまで、化学兵器まで駆使して日本で国家転覆を図ろうとするような狂信集団が出てくるなどとは、誰も予想していなかったし、法整備も不備のままだった。共産党や左翼集団を想定して作られていた破防法の適用は、左翼的勢力の反対でできなかった。そして今、また泥縄的に一女子大生のオウム誘拐狂言に慌ててオウム新法を作ろうとしている。
 以前の日本なら「まさか」は滅多に起きなかった。今は「まさか、まさか」の連続である。戦争は起こさなければ起きないものと考えずに有事に対する法整備を図り、「一日のため、百年兵を養う」という言葉があるように、常に先々を見据えた危機管理体制を整えておかないと、非常事態に対処できない。
 阪神大震災の時に、新耐震基準をクリアしていたマンションなどは倒壊せずにあまり被害も出ずに済んだ。先日のトルコや台湾の大地震の災害を見るに付け、耐震基準という備えがいかに大切であるかを思い知らされた。
 リスクはコントロールできるものであるが、それにはコストが掛かる。原子力の安全管理にも当然コストが掛かる。しかし、このコストを賄うために、効率の良い作業をと臨界の知識もない者が裏マニュアルを作るなど論外な話であり、ガードマンによる貧弱な警備もまた然りである。危機管理とは何なのかを考え、政府は有事法制を早く整備させ、常に戦争などの危機に備えて抑止力を養って初めて平和が保たれることを理解すべきだ。


21世紀を今よりもっと明るく豊かな時代に

 1999年も終わりに近づき、いよいよ2000年が幕を明けようとしている。20世紀は技術革新による大きな繁栄と幸せを人類にもたらした世紀である。反面、地球環境の破壊と大量殺戮の世紀でもあった。
 21世紀まであと1年、今、ヨーロッパなどではミレニアム(2,000年紀)を迎えようと大騒ぎしている。いよいよ人類は21世紀を迎えることになる。21世紀には、20世紀に作りだした技術「原子力・宇宙開発・ハイテクインターネット・遺伝子工学」など神への領域をも侵さんとする技術と神聖に付きあい共生を図り、上手くコントロールすることに人類の英知を傾けないと、私たちには22世紀はやってこないかもしれない。原子力エネルギーひとつ採ってみても、我々はこれを完全にコントロールできていない。しかし、できてしまった技術は無くすことはできない。「作り出してしまった技術と上手に共生を図ること」と「地球環境保全と人類未来の豊かな繁栄を約束する新しい技術を開発する」のが21世紀の命題である。
 今まで私たちは、東西冷戦の漁夫の利とも知らずに「未来は常に今より素晴らしい」と思って戦後の50年を生きてきた。だが、ここにきて、昨今の資産デフレ不況に国民は喘ぎ、阪神大震災、地下鉄サリン散布、放射能汚染など予想だにしなかった悪夢に遭い、未来は現在より暗いと考える人が増えていると言われている。
 しかし、私はそう悲観的になる必要はないと思う。21世紀の初頭においては、産業革命にも匹敵するハイテク・バイオの技術革命が、全ての既存システムを洗い直し、法律・習慣・地域ブロックなどあらゆるものを大きく変化させていくに違いない。
 もちろん、行政の怠慢もハイテク革命のスピードに飲み込まれてしまうだろう。大幅な規制緩和は、異業種の壁を取り払い、グローバル化とボーダレス化が急速に進み、大型で長期の好景気がやってこよう。そして、なによりも、21世紀は地球規模で環境問題に取り組み、人々が豊かさを実感できる時代にしなければならない。そのためにも、2000年の幕開けは、「まさか」に毅然と対応できる危機管理体制の整備を図り、「備えあれば憂いなし」の心掛けで迎えたいものである。