藤 誠志エッセイ
羹に懲りて膾を吹く日銀


絵に描いた餅は食えない
 日本銀行がここのところの急激な円高により、せっかく上向いてきた景気が失速することを恐れ、これまで消極的だった量的金融緩和に乗り出す、と新聞の一面で報じられ、米国の円高阻止への協調介入の前提条件とは言え、今回の量的金融緩和を日銀の英断と評価したものだったが、数日後にそれは糠喜びに終わってしまった。
 米国の量的金融緩和の求めに対して「効果がない!」と一蹴したのである。理由は、「現行のゼロ金利政策で市場には潤沢な資金供給をしている」「金融政策を為替相場の制御に直接結びつけると、誤った政策判断につながる危険性が高い」というものであった。会見の席上で速水日銀総裁は、米国からの量的緩和を求める圧力が強まっていることを認めたものの、米国からの指示はないと、独自の判断を貫いたことで今年4月改正の日銀法のもと、日銀の独立性を内外に強調した。
 この日銀の判断に私はがっかりさせられるとともに、その無能ぶりを晒した決断に、バブルの急激な崩壊を招いた当時の日銀総裁や大蔵大臣の顔を思い浮かべてしまった。「バブルの過ちを繰り返したくない」と言いながらも、日銀はまた同じ轍を踏もうとしているのである。金融の量的緩和を見込んでいた市場は、会見後のニューヨークの外国為替市場で円は急騰し、前日比で2円以上の円高の103円台になった。
 日本市場もまた円高・株安となり、これまで日本の景気を支えてきた輸出産業にも大きな打撃を与えることとなる一方で、十分な資金供給をしていると大見得を切った日銀はゼロ金利を強調しているが、企業に対する金利は高騰するばかりで今やプライム適用企業はほとんど無く、格付けによるスプレッドは増えるばかりで、金利がたとえゼロでも融資が受けられなければ、まさに「絵に描いた餅」である。進行する資産デフレにより今日の正常債権も明日には不良債権と化し、公的資金の導入によりようやく不良債権を処理できたと思っていてもデフレの進行によりまた不良債権は増える。このような状況に至っても、なおインフレを恐れて金融の量的緩和に踏み切れず、金融監督庁もBIS基準による自己資本比率を国内で必要な4%を超える高い数値を要求し、その基準に達しない銀行は市場から敗退せしめると脅し、貸し渋りというよりも貸し剥しというような非情な金融政策を行い、地域における融資シェアが一定以上に達しない銀行には公的資金を導入しないと公言して憚らない。シェアの低い地域にある支店は早急に撤退すべしという御触れまで出している。
 そして今も、金融機関から「貸し渋り・貸し剥し」の根拠となっているものに、かつて大蔵省による行政指導の「不動産融資総量規制」がある。それがバブル潰しの引き金となり、その後のスパイラルに続く資産デフレの元凶ともなった。
 この悪法ともいうべき融資総量規制はその後撤廃されたというものの、今も融資額と融資ウエイトの報告義務が残り、それが融資抑制効果となって、貸し渋り不況につながっている。

職業による融資差別
 企業の業績の優劣で融資の扱いが違うのは納得できるが、業種によって企業の格付けが引き下げられ金利の上乗せが決められるのは、日本国憲法の精神にも反するものである。しかし、現実には職業による差別が金融監督庁の指導により銀行融資のガイドラインとして大手を振っている。そうしたことが今も不動産や株式の取得にはほとんど融資をしない一方で、売れる資産は全て処分して「借金を返済しなさい。」「社員寮・社宅・福利厚生施設に本社までも処分しなさい。」「人員も整理をしなさい。」と企業に資産と人員の整理を強いている。しかし、誰もがこの矛盾に気付いていない。
 売れる資産は全て売って借金を返しなさいと売り急がせる一方では、買いたい先には融資をしない。その結果、資産はどんどん安くなり、結局日本の優良資産が外資に買叩かれている。地価が8年連続で下落を続けている今、土地を売れ売れと言うから売値は下がり続け、金利はゼロだと言いながら買いたい人には融資はしないという「ちぐはぐな政策」を進めている。
 各々の企業によるリストラや資産の処分は正しくとも、日本全体で考えれば大きな誤りである「合成の誤謬」を政府や日銀は気付いていない。これでは景気は上向いてこない。地価はますます下落し、各企業の含み赤字が拡大し、銀行は不良債権の処理をしても次から次へと「今日の正常債権も明日には不良債権」となっていく。戦後の平等社会を目指した財閥解体、農地解放と超高累進所得・相続税制下で、資産が細分化されその後の長期住宅ローン制度により国民のほとんどが資産と負債をセットで持つ時代となり、地価が下落し資産価値が目減りすれば、倒産・破産が増大し、不況感はますます強まると言わざるを得ない。
 そのデフレ不況の中、「低金利による住宅一次取得層の需要」と「円安による輸出産業」が景気に一筋の光明を与えてきたわけだが、日銀は国際金融情勢に疎く、メンツにこだわり今回の円高進行の危機にも対処しないで「今の金融政策に誤りはない!」などとタカを括っている。
 未来に負債を先送りし、中心市街地を空洞化させ、造ったときから壊すまで赤字が続き維持管理費用も稼げない箱モノを郊外にばらまく公共投資による景気刺激策はもはや限界である。また住宅購入支援による景気対策も一定の効果はあったものの、第1次取得層に限定されているために第1次取得層が購入し終えれば萎んでしまう。
 こうした状況下、米国は円高阻止への協調介入の条件に量的金融緩和を求めたものであり、「非・不胎化政策」を採り入れた量的金融緩和が望まれたわけだが、それも三日ももたずに日銀のメンツの前に葬り去られた。「非・不胎化政策」とは日銀が円売り介入することで市場に流通する円を増やし、市場に出回る円の資金量を増やすことで、円高の阻止はもとより、デフレスパイラルに歯止めを掛ける政策だが、束の間の喜びに終わったと考える者は私だけではないはずだ。

世界恐慌を恐れる米国
 しかし、本来、地価の安定化・流動化を金融政策だけに頼っていてはならないというのが私の持論である。景気回復には、地価と株価の安定化が不可欠である。地価が上がれば、株価も上がる。そして、地価を安定させるためには不動産の流動化が必須条件でもある。そのためには、規制緩和を図り、不動産の流通に掛かる諸経費を大幅に削減する。とくに、取得と譲渡に関する税をゼロにするくらいの思いきった施策を即刻断行するとともに、保有にかかる税も大幅減税すべきである。しかし、新聞などを見ると、いまだに「8年間も連続して下落した地価に対しても、このことにより土地の流動化が進むことは良いことだ」と考えている輩がいる。以前よりも資産が安くなっても、買えばまた安くなると思えば買う人がいなくなる。こうした商いの道理が分からない輩が日本には多過ぎる。 
 地価下落が良いことだと自虐的に喜ぶ日本を横目に、外資は日本の優良資産取得の千載一遇のチャンスと手をこまねいている。米国では、未曾有の株高が続く中、そろそろ株価が暴落するのではないかという懸念が広まっている。今回、米国が円高阻止を狙った協調介入実現に意欲を示したのも、日本の景気を心配してのことではなく、日本の貸し渋り金融政策がこのまま続くと米国の株価に悪影響を及ぼすからである。
 米国の株価の暴落はそのまま世界恐慌の引き金となる。そのため、米国はなりふりかまわず、日本の景気回復のために一層の金融緩和を求めてきたわけだが、そのサジェスションを無視した日銀は日本経済を何処に導こうとしているのか。米国の本音を代弁するならば、「デフレ不況がここまで進行しているのに何を悠長にインフレの心配をしているのか。早く金融の量的緩和を実行して、融資を必要としている健全な企業に資金を回しなさい」ということなのである。
 そう考えれば、今回の日銀の金融の量的緩和の見送りは判断ミスというべき失策であることは明白である。「バブルの過ちを避けたい」という謳い文句もまた空々しい限りである。私にすれば、「バブルの急速潰しの過ちを是正するために」、ぜひとも今回の量的金融緩和を断行すべきで、資産デフレが止まってからインフレの心配をするならともかく、今はデフレスパイラルに歯止めをかけることに日銀は全力を尽くすべきで、国際金融情勢の判断もできない総裁は一日も早く退陣し、ここはリチャード・クーさんにでも日銀総裁をお願いすべきだ。
 金融再生委は公的資金4兆円を超えるお土産をつけて、超低リスクで超高リターンをのぞめる長銀を、わずか4年前に設立され従業員が35人のリップル社の42歳の社長、コリンズ氏にその後の二次損失を3年間もカバーする約束で譲渡しようとしている。
 まさに国賊的行為である、ここまで来れば、思い切ってむしろ一定のインフレを受け入れることも考えるべきだ。さもなくば世界大恐慌か、一転してハイパーインフレへの道へと進むこととなろう。