武器アレルギー
先日、大手新聞の1面に「自衛艦が実弾誤射」という記事が大々的に掲載されていた。この記事を見た瞬間、私は「大砲の弾を市街地に向けて発射したのか」と驚き、真っ先に読んだ。 要約すると、海上自衛隊の護衛艦「はるな」が今年の2月に、京都の海自舞鶴基地で20ミリ機関砲の試験発射の際に、模擬弾に紛れていた実弾2発が誤って発射され、その砲弾は市街地を飛び越え、約10キロ離れた福井県との県境にある青葉山に着弾し、その実弾発射の噂が広まり(内部告発かも?)、4カ月を経てようやく防衛庁が調査に乗り出したというものである。 この事件で、野中官房長官が「部内で処理できると判断したことに問題がある、海上自衛隊の指示系統に大きな欠陥があると思わざるを得ない。防衛庁に厳正な調査ならびに処置をお願いしたい」と発言。同時に、「舞鶴市長や原発を持つ福井県からも、抗議の声が上がった」と報じているが、確かに実弾が誤射されたことは決して誉められることではない。しかし、発射された実弾の弾頭は直径12ミリ長さ55ミリで、火薬は入っていないという。大きめのライフル弾程度というのが、私の感想であるがこれを砲弾と表現するなどはかなり意図的な表現と言ってもよく、この弾が10km先の山に当たったとして捜索隊まで出して大騒ぎしているが、まさに大山鳴動して鼠一匹というものである。毎日、日本の上空に無数に飛来する流れ星の隕石に比べれば隕石が人に当たる確率よりも少ないとも言え、中東諸国では祝い事に花火代わりに空に向けてライフルを撃つことがあるが、撃ったとしても、ライフルは数キロ先に着弾する。機関砲なら、10キロくらいは飛んで当たり前で1分間に3千発も発射できるのだから、2発の火薬も入っていない弾ごときで、大新聞が1面を割いて報じるのは実にばかばかしく、こうした針小棒大の記事の掲載が、大新聞に罷り通っていること自体日本の平和ボケを増長させているように思えてならない。 領海侵犯に見る対応の違い 自衛艦の実弾誤射報道と同じくして新聞の1面を賑わしたのが、韓国艇と北朝鮮艇の銃撃戦であった。黄海において、事実上の南北軍事境界線にあたる北方限界線を越えて韓国側設定の「緩衝海域」に侵入した北朝鮮艇が、進路をふさぐために体当たりした韓国海軍艇に発砲し、韓国側が応射。この銃撃戦で北朝鮮の魚雷艇1隻が沈没、警備艇1隻が半ば水没、4隻が破損した。韓国側の負傷者は7人、北朝鮮側は30人の死者を含め、約80人の死傷者が出たとの報道である。 韓国側が和解と協力の姿勢を積極的に推し進める「太陽政策」の最中の事件であるにもかかわらず、今回の韓国側の対応は実に直截明瞭であった。「対話による平和的解決を求める」一方で、「南北軍事境界線の侵犯や武力挑発には軍が強力に対応する」という対北朝鮮基本対応方針を改めて行動で示した出来事であり、先日の北朝鮮艇が日本領海を侵犯した時の我が国の対応とは大きな違いである。 この銃撃戦には後日談がある。韓国国防省の車栄九スポークスマンが、事件を夫婦喧嘩に例えて発言したことで野党の反発を招き、解任されたことである。本意は夫婦喧嘩になぞらえ、その後、南北朝鮮の平和関係の定着を願ったものだったが、野党のハンナラ党議員が「北の侵入を食い止め、命をかけて戦っているのに、夫婦喧嘩とは何事か」と国防相に噛み付き、責任を取らされた。確かに車氏の発言は不適切であったと言わざるを得ないものの、80人もの死傷者を出した銃撃戦を「夫婦喧嘩の後に仲睦まじくなる」と例える国がある一方で、「イノシシや鹿などの狩猟で使うライフル弾より少し大きめな弾が2発山に飛び込んだからと言って見付かるはずのない10キロも先の山に捜索隊を派遣したり」「大型爆弾でも直撃を受けないかぎりびくともしない原発にたかだか2発の弾頭15ミリの弾がもしも当たったら大変だった」とか、マスコミの糾弾が怖いとは言え「被害もけが人も出たわけでもないのに、防衛庁が事故調査委員会を設置し、その自衛艦の属する護衛艦隊司令部がその事実を防衛庁に報告しなかったと叱責したり」「時の官房長官が防衛庁に厳正な調査と処置を命ずる」という記事を、大々的に報じている日本とは、なんと兵器オンチの国なんだと、私は苦笑してしまう。 自虐報道で作り出すマスコミ世論 日本の一部新聞の、大局観のない論調はどこから来ているのか。国際的な常識から大きく逸脱したモノの見方もさることながら、事実を歪曲し意図的に世論を誘導すべく危機感を煽り、針小棒大に報じ、目を引く事を狙ったと思わざるを得ないタイトルや記事の扱いには、憤りを超えて情けなさすら覚える。恐らく、欧米では話題にもならない記事を大新聞の一面にでかでかと報ずるから恐れ入る。もっと伝えなければならないことや必要なことなど、大々的に取り扱わなければならないことが、たくさんあるのではないか。 その一方で今日もまた、こぞってテレビ局や週刊誌はサッチー(野村沙知代)騒動に明け暮れている。何週間も何カ月間も同じ一つの話題を報ずるから視聴率が上がり、視聴率が上がるから報じ、報ずるからまた視聴率が上るワイドショーを眺めるにつけ、大宅壮一氏ではないがまさに「一億総白痴化」している国の、平和ボケしたメディアが、安上がりで視聴率を稼ぐだけの、たわいもないことでスケープゴートを見付けては濡れた犬は叩けとばかり、中世の魔女狩りのごとく何千万人もの視聴者に何百時間もかけて作り出すマスコミ世論は、バブル期には日本は世界の経済大国と成り、いまやアメリカも日本的経営を見習うべきだとはやしたて、その後は一転、地価の高騰は国民の資産格差を拡大してけしからん、とひがみとやっかみからメディアを総動員し、大蔵・日銀と一体となって、地価は下がれば下がるほど良いと国民の貴重な不動産資産を下落に追い込むとともに、不動産本位制と言っても良い日本の金融システムを根本から破壊して莫大な不良債権を作り出し、不況のどん底にたたき込み、果ては日本の貴重な不動産資産と株式を安値で欧米にたたき売らせ、いまだまだその呪縛から抜けきれずにいる。 自らの価値観を持たず、ただ与えられた知識をうのみにする偏差値教育で育ち、疑問を持つことなしにマスコミ世論に操られている国民の自虐意識と、自らも自虐報道に徹している現在のマスコミ風潮は、まさに茶番劇と言っても良い。 大盤振舞いの果てにあるもの そうした平和な国・日本だからか、小渕総理大臣の支持率が誕生した頃の10数%台から、50%近くに跳ね上がってはいるが、その支持する一番の理由が「他に支持する候補がいないから」と言うから情けない。総裁選挙で再選を果たし解散総選挙で自民党が勝利するための大盤振舞いで、景気の失速に歯止めがかかり、株バブルのアメリカからのリスク回避のヘッジ資金の日本株式の安値買いで株価は少し上がり、今後もアメリカの株バブルがはじけなければ平均株価で2万円程度まで上がることも期待できるが、一方、今秋から来年にかけて、中小企業金融安定化特別保証の最高5,000万円の特別融資の返済時期の始まりや公共事業の息切れなどから倒産・リストラによる失業率が上昇して景気が失速することが予測され、そのため支持率が高いうちに総裁再選と解散総選挙を行うとの見方はますます強まってきた。 元々今時の不況は、地価を強制的に引き下げたことで始まった政策不況であり、一日も早く地価の安定と上昇のための政策を実行すべきにもかかわらず、こうした将来に禍根を残す自らの延命のためだけの平成の徳政令と言っても良い大盤振舞いの政策によって、一時的な人気を得ている現政府の政策にこそ、メディアは第四の権力としてのチェック機関の機能を発揮すべきである。昨今の公的資金が銀行を経由してゼネコンの債権放棄に使われたり、優良中堅企業からは貸剥す一方で中小零細企業には返す当てもない5,000万円の政府保証融資をし、また、一部大手企業や第3セクターへは貸し渋り対策資金にと、中小中堅企業にはなかなか融資しない開銀融資を大々的に注ぎ込むなど、社会正義に反するモラルハザードと言っても良い今の社会現象をメディアは追及すべきだ。さらに大幅な行政改革と規制緩和で小さな政府の実現と真の資本主義市場経済社会の確立に向けて厳しく政・官・業の癒着の構図にメスを入れ、天下りシステムの受け皿として作られ高物価社会を作りだす温床でもある公社公団とその一万社にも及ぶ関係会社の民営化の推進を図るべく、論理に基づく主張をすべきである。それが安上がりのやらせとも言える視聴率稼ぎのみに奔走するワイドショーや、国民に危機感をあおり不安に陥れるような事実を歪曲した報道姿勢を改め、第四の権力として機能するメディアとして、歴史観と世界観に基づき民族と国家に誇りとプライドの持てる報道に徹する事を切望する。 |
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