藤 誠志エッセイ
報道の真贋


社説にみる平和ボケ
 全国紙の社説欄(5月21日付)に、「TMDが緊張をつくる」というタイトルで次のような社説が掲載されていた。その内容を要約すれば、『北朝鮮の「テポドン」試射をきっかけに、日本政府がイージス艦を使った海上配備型TMDの日米共同研究への参加を決めたことに対し、戦域ミサイル防衛(TMD)と日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインは同根の問題であり、朝鮮半島の安定に重要な役割を担う中国とロシアを刺激しては元も子もないと苦言を呈し、そのことがかえって日本の安全保障環境を悪化させると危惧し、「日米両政府が防御的であることを強調すればするほど、反発が強まってくるのが核の世界の現実である」と論じるとともに、「中ロ政府は先月、地域情勢に不安定を招くとして、TMD反対の共同発表を行った」と報じ、テポドンは確かに衝撃だったが、脅威に備えるという理屈で新しい緊張を生み出すのは愚かなことで、日米によるTMD計画推進が中ロ両国との溝を深め、来世紀の日本の安全保障環境を悪化させる』というものであった。
 私はこの社説を読んだ際に、北朝鮮のミサイル(テポドン)が日本に無断で頭越しに発射され、日本の上空を侵犯したからこそ、TMDの必要性が喚起され、今回の日米共同研究への参加につながったという現実を、筆者はどのように考えているか理解できなかった。「備えあれば憂いなし」ということわざもある。社説の語る「中国やロシアの反対を押し切ってTMDの研究をすれば、来世紀の日本の安全保障環境に悪影響を及ぼす」という考えは、私には容認できるものではない。この論調の根底にあるのは、「支配される平和に甘んじろ」ということであり、とても承服できない。
 しかし、私もTMDについては、多額の共同研究費用を米国に負担させられながらもそれで必ずしも確実に戦術ミサイルの迎撃効果を期待できるシステムが完成できるのかと疑問を持つものであり、むしろ投資効果だけを考えれば最も安くつく効果的戦術は、攻撃に有効な報復反撃能力を持つことに行き着くのではないかと考えるものである。

力の均衡に基づく平和
 歴史的に見て中国やヨーロッパなど陸続きの国においての平和とは、戦争と戦争の間の戦争準備の期間であったと言ってもよい。私は常々、平和には「3つの平和」があると思っている。その3つとは「支配する平和」と「支配される平和」に「力の均衡に基づく平和」である。「支配される平和」は、常に相手側の論理に従い、相手側の神経を逆なでしないよう絶えず恭順の意を表することでようやく得られる平和であり、このような平和は私にとっては戦うことを放棄して隷属している状態と言ってよく、とても平和とは呼べない。また、現在の日本の国民意識と軍備、国力、外交姿勢では、「支配する平和」が確立できる故もない。日本が果たせる平和となれば、現在の憲法を時代に即したものに改正し、真の独立国家として国際的責任を果たしていく集団的自衛権の行使を認めるとともに、独立自衛の軍事力を持ち日米安保条約を双務的で平等互恵のものに改正する、「力の均衡に基づく平和」を置いてない。
 テポドン一発の発射で、TMDの研究に走るのは新しい緊張を生みだし愚かなことだと主張する人は、ペリーが米国の艦隊を率いて浦賀にやってきた時の「泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船) たった四はい(四隻)で夜もねむれず」の落首に例えられるように、なんの備えもない時に突然現れた米国の軍艦の脅威に、日本は開国を迫られ、日米和親条約の締結を強いられ、この不平等条約の改正に、その後どれだけの時間と労力が必要になったかを史実に照らして思い起こすべきだ。今回のテポドンの発射が反面教師となり、それは平和ボケしている国民の目を醒まし、TMDの日米共同研究への参加や偵察衛星の導入を決定するきっかけとなったと受け止め、むしろ感謝したいぐらいの気持ちを私は持っている。

誤爆の判断基準とは
 私もかつてユーゴスラビア連邦各地をまわったことがあるが、今行われているコソボの悲劇は、ミロシェビッチがヒトラーやスターリン、ポル・ポト、金日成(金正日)に匹敵する残虐行為の限りを尽くしているにもかかわらずコソボの紛争に関し、日本のマスコミは連日のように誤爆事件だと報道している。すでに数十発の誤爆で数百人の死者が出ていると大々的に報じているが、もともと戦争において民間人や民間施設に被害が発生することを誤爆とするならば、これまでの戦争において、すべて誤爆が行われていたと言えよう。今までに、数万発に及ぶミサイルや爆弾が落とされる中で、わずか数十発の誤爆や数百人の民間人の犠牲は、かなり精度の高いピンポイント爆撃による細心の配慮をした攻撃をNATO軍が行っている結果だと思う。また、誤爆はハイテク兵器の性能の凄さを示すものとも言える。電力施設を破壊することなく回路をショートさせることにより送電システムに支障を生じさせるグラファイト爆弾で停電を誘い、その停電中にも自家発電装置などにより熱や赤外線を発する可能性の高い政府やマスコミ・軍事施設などを攻撃する兵器を使用していていることから、一部の民間病院や中国大使館などの誤爆事件が起こってしまったのではないかとも考えられ、橋梁攻撃に対して通過中のバスを誤爆してしまったのも、熱や赤外線に反応するハイテク爆弾が原因ではないかと思う。しかし、こうした誤爆を報じ非難するセルビア側も、アルバニア人をNATO軍の攻撃から自軍を守るための人間の盾として使っているのではないかとも考えられる。
 セルビアから報じられるニュースは言うまでもなく、セルビアの検閲を受け、セルビアの都合のよいものだけが流されている。それを人道的見地からと称して、大国が寄ってたかって小国をいじめているような報道に終始する日本のマスコミの姿勢はバランスを欠くものであると感じるのは私だけではなかろう。

民族浄化の悪夢再来を阻止せよ
 今、コソボで行われていることは冷戦末期から始まったエスニック・クレンジングと言われる「民族浄化」であり、コソボ自治州のアルバニア系住民の独立の動きに対するミロシェビッチ大統領による自治権のはく奪・拷問・虐殺・強制移住などセルビアによるコソボでのアルバニア民族の抹殺計画と言ってもよい。
これまでにセルビア軍に拉致され行方不明となったアルバニア人の男子が十数万人もいると言われ、また、難民の語るところでは、身分を示すものはすべて奪われ、住居は焼き払われ、帰る場所を消し去るという残虐非道な行為からもそれは察しられる。コソボ自治州において、90%以上を占めていたアルバニア人をセルビアから追い立てることから始まった今回の紛争は、単一民族の日本人にはなかなか理解のしにくいものだが、いろいろな非難に晒されながらも、必ずしも世論や利害が一致しているとは言えないNATOの19カ国が結束して空爆に踏み切る決断を下し、空爆を開始したことは大変なことである。
 第2次世界大戦時にドイツのヒトラーによって行われたユダヤ人抹殺計画は誰もが知るところである。そのヒトラーの台頭を前にして、当時の英国のチェンバレンはヒトラーに対し融和策をとったことによりヒトラーをして増長させ、ユダヤ人の大量虐殺と世界大戦いう大惨事を招いてしまった。その反省から、今回のアルバニア人抹殺計画に対する英国の反応は機敏で、コソボにおける民族浄化を阻止しようとする強い意思から英国は地上軍をも派遣しようとの姿勢を示しているわけである。

木を見て森を見ない報道体質
 そうした歴史的背景も見ずに、日本のマスコミは相変わらず、「木を見て森を見ず」の報道に終始している。セルビア側の都合のよい検閲済みの映像だけを見せ、コソボで何が行われているのか、全体はどうなっているのかの報道は極めて少ない。
 もちろん、NATO軍は好んで空爆をしているわけではない。「再びヒトラーまがいの蛮行をヨーロッパで許してはいけない」という堅い決意が、今回の執拗な空爆となっているのである。中国やロシア、北朝鮮が空爆に反対しているのは、それぞれに脛に傷を持つ身であるからで、中国はチベットの武力支配と台湾併合問題、ロシアはかつてのチェチェンやバルトの問題、北朝鮮は人権無視の独裁体制の国家世襲による金王朝の継続と核開発疑惑隠し。そんな自国問題への牽制行為と考えるべきであろう。北朝鮮などは、セルビアに軍事使節団を派遣して、NATO軍の攻撃の手口やミサイルや爆弾の威力、ハイテク兵器の破壊力を調査していることは周知の事実である。
 そうした自らが同じような問題を抱える国々が、TMDの日米共同研究に競って異を唱えるのは、早い話が世界の平和のためなどではなく、単に自国の国益に反するからのみである。それを知ってか知らずか、北朝鮮や中国・ロシアなどの思惑も読みきれずに、善意(独善)の解釈のみをする日本の一部マスコミの迎合姿勢には呆れてしまう。世界の現実をしっかり見極め、力の論理に基づく「力の均衡により得られる平和」の必要性を理解して事の真贋を見定め、歴史観と世界観に基づく真正な報道に終始して欲しい。