藤 誠志エッセイ
官僚主導政治からの決別


ドル一極体制の崩壊
 昨年末以来、グローバル資本主義のもと、米国金融資本の先兵ともいうべき米有力格付け会社が、相次いで日本企業の格付けを下げ続けた。まずはヘッジファンドが空売りをした後、特定日本企業の格付けを引き下げるとの予告を行い、その後格付けを引き下げ新規の社債の発行を難しくした上で、期限の到来の近い社債の償還が危ういとの風説を流布して株価を暴落させ、その後、空売りした株式を買い戻して暴利をむさぼるなどという卑劣なやり口で、日本の国債やトヨタ自動車の格付けまでもが引き下げられてしまった。まさに、日本売り一色のまま、年が暮れ、年を越したという観が強い。
 そして、1999年の幕開け。それは、ヨーロッパにおいて11か国が参加しての、米国以上の経済圏を築くことになる通貨ユーロの出現で始まった。この誕生により、ドルの一極体制が壊れ、ロシアやブラジルの経済危機によりアメリカの経済の将来不安からリスクをヘッジするための基軸通貨の分散により、急激に円高へと環境は変わってしまった。もちろん、円高への急変には、昨年末に日本政府が経済危機克服対策のために打ち出した赤字国債の発行に伴う長期金利の急騰も影響を及ぼしているが、それに併せて鑑みても、今回の円高は、決して日本の経済が評価された結果ではないことは言うまでもない。
 こうした円高は、厳しい経済環境の中で、円安によってなんとか救われてきた輸出関連企業にも多大な打撃を与えよう。本来は景気対策のために実施された赤字国債の発行による景気刺激策が、長期金利を上昇させ、それが円高と株価の下落を招く羽目となり、対策の効果を帳消しにするだけでなく、さらに景気を悪化させることとなるとは何とも皮肉である。

地価の上昇が景気回復の起爆剤
 日本の景気が回復しないのはデフレスパイラルに歯止めをかけることができないためであり、景気回復の策は再三再四に亘って私がエッセイで述べている、土地の譲渡と取得に関する税の大幅軽減で不動産の流動化を図り地価の上昇を促すことに尽きる。地価が下がり続ける限り、絶対に日本の景気が回復することは有り得ないと言えるし地価が上がれば必ず株価は上がる。
 昨年の決算によると、日本の企業の7割が税金を払っていない赤字企業であり、所得税を払っていない国民も同様に7割近くもいるそうだ。道路や教育など公共サービスは、赤字企業も所得税を払わない人も等しく受けるにも拘らず、課税範囲を拡大することもせず、本来皆で負担すれば軽くて済む税を3割の納税者に最高65%もの高累進税制を押し付け、税金も払っていない人にまで地域振興券と称する商品券までも配っているとは滑稽な国である。
 さらには、ここまでひどくなった直間比率の見直しもせずに、消費税の凍結や3%への切り下げなどが論議されるとは、的外れの極みと言いたい。
 今、求められているのは、土地の取得や譲渡に関わる税(登録免許税・不動産取得税・印紙税・建物消費税・事業所取得税・譲渡所得税など)の無税化を早急に断行することと保有に関する負担を軽減することである。そうすれば相当に土地は流動化するに違いない。そうすることによって、収益の期待できる価値のある土地の地価が上昇して、郊外の山林や農地や交通の便の悪い住宅地の価格はまだ下落するかもしれないが、インフラの整備の進んだ駅近の都心部の下がりすぎた商業地やマンション用地などの地価が上昇し、景気回復の起爆剤となる。

平成の徳政令
 今日のような“がんじがらめで桎梏の税制と規制”のもとでは、地価と株価の下落はスパイラルに進行し資産価値の下落で担保割れが生じ、貸し渋りや追加担保の要求や返済の督促で右往左往する状況は今や優良大企業にまで及ぶこととなった。こうした失政とも言えるデフレ不況に歯止めをかけるには、今の政府の対策ではまだまだ不十分である。
 現在のところ、零細中小企業においては貸し渋りがあまり叫ばれず、金融面では小康状態を保っているように見えるのは、偏に無担保5000万円と担保付き2億円、と合わせて2億5千万円もの金融安定化特別保証制度に基づく信用保証協会保証の貸し渋り対策資金のおかげである。
 ただ、借りたものは返さねばならない。5年間の分割返済で一時的にゆとりが生まれたとしても、1年ごとに返済が厳しさを増すことは想像に難くなく、この後莫大な不良債権を政府は肩代わりすることとなり、平成の徳政令と将来呼ばれることとなろう。本格的な景気回復は国民の貴重な財産である地価の上昇を図ることと、大幅な所得・法人税減税と大胆な規制緩和を即実行すべきということに併せて、住まいに関する消費税と取得税の二重課税などはすぐにでも廃止し、税制の簡素化を図ることである。消費税を免じるか、建物取得税を取りやめるか。ダブル課税は改めなければならない。
 今後消費税アップの必要性が出てくることが予想されるがその場合、食料品や生活必需品にかかる消費税は予め一人当たりの金額が想定できるので、一律に一定額分を返還するというのはいかがなものだろうか。実際に食料品などにかかった消費税を納税者には税額控除し非納税者には現金で還付する方法は、地域振興券のように年齢や年金などの受給基準だけで還付するよりも、よほど合理的で効果的ではなかろうか。

大蔵省神話の崩壊
 こうした消費税の払戻しや土地の取得・譲渡にかかる税の無税化を図る一方で、官僚の天下りのために作られた、非効率で赤字のタレ流しで税も払わなくて民業を圧迫する公社・公団とその関係会社を早急に清算するとともに、不必要で作ったときから壊すときまで赤字が予測される箱物行政といわれる地方に偏る公共事業の自粛も断行せねばならない。地域振興や地域の雇用の確保をするという大義名分の裏に、公共工事を通じて中央で集めた金を地方に分配することで票と金を集めるという旧来の政・官・業癒着の談合システムを即刻改めるべき時期に来ている。
 自自連立政権の発足によって従来の東大法学部を中心とする大蔵省を旗艦とした官僚の護送船団方式による官僚主導の政治と決別。
 「大幅な規制緩和」「行政の簡素化」「公共工事の縮小」「郵便・郵貯・簡保や公社・公団と公的財団の民営化と清算」は必須条件であり、小さな政府の実現が不可欠である。
 今日の深夜テレビや一部週刊誌の低俗化は目を覆いたくなるばかりだし、単に入学させるだけの教育で、入学すればディズニーランドやゲーセンからアルバイトに通うような今日の「受験テクニックと記憶力重視」の偏差値教育制度を改革し、「ディベートを通じて地球・人類・未来にとって今何が必要かを見つけだすとともに創造力を育み個性を尊重する」教育に改め、もっと国民皆が自分と自分の国に誇りと自信を持てるような歴史観と世界観を育て、個性と創造性を評価する教育システムを確立することが、今日の日本には絶対に必要なことである。

独立自衛・平等互恵の安保体制の確立
 政府の究極の使命は国民の生命と財産を守ることである。
 東西冷戦が終わったことで、日本を取り巻く環境はかえって平和を犯される危機が増大してきたにも拘らず、いまだに平和ボケに犯されている人が多い。
 海を隔てた隣に軍事独裁国家北朝鮮がある。その隣国には、民主的な政権交代手段を持たず、民主的な手段を経ずに選ばれたリーダーが軍隊に依拠することで権力を維持している政権が、十数億人もの国民を一つの政府のもとで統治し、政治的には社会主義、経済的には市場経済という大実験をしている、核を持つ大国が存在する。その大国で、内陸部と沿海部との貧富の差による軍管区ごとの矛盾からいつ内乱が起こらないとも限らない。
 そうした危機に対する軍事面の用意は周到かとなれば、軍事費だけは大国並みだが、有事に対する法体制の整備もされず、装備品は高いだけで全く貧弱で、現在の自衛隊ではとてもまともな交戦などできるものではない。早い話が兵器や装備が、競争のない特命発注の原価積み上げに利益上乗せするシステムで高コスト化して、費用ばかりかかっているというのが実情なのである。だから、調達本部の汚職などが生じる。
 こうした内情が熟知されているからこそ、軍事的に北朝鮮にも嘗なめられ勝手に頭越しに弾道ミサイルを飛ばされても何の効果的抗議もできない。しかし、これが反面教師として平和ボケを癒す特効薬になることもあることを北朝鮮は理解すべきだ。
 これで経済的に3流国家に成り下がったら、日本の未来はない。その3流国家への転落に歯止めをかけるのは、あらゆる面において戦後体制を総括して、戦後の繁栄は朝鮮戦争・ベトナム戦争・冷戦とアメリカの払った血と汗と金の戦争特需で得た漁夫の利であるとの認識は必要であるが、そのツケの支払いをアメリカは冷戦勝利の今、求めてきているわけで、理解はできるがツケを払わされないように米国に依拠しない平等互恵の安保体制と独立自衛の体制を確立し、アングロサクソンとユダヤ金融資本の仕掛けるグローバル資本主義の餌食にならない英知を養い、自らの繁栄を自らの力で築く心構えが必要である。その礎となるのが、『自己責任の原則に基づき、「支配される平和」から「力の論理に立脚した力の均衡に基づく平和」の必要性と、平和にはコストがかかることの理解を深め、自力で自らの幸せと安全を勝ち取るという努力を国民も国家もする』ということに尽きる。それをしないまま、漫然と世紀末を迎えるならば、日本は21世紀には「3等国家」に転落することは間違いない。私は今、心底それを憂慮している。