藤 誠志エッセイ
アウトバーンとバカンス


 先日、オーストラリアに続いて、二十数年ぶりにポルトガルを訪れる機会を得た。二十数年前に体験したポルトガルは、大航海時代に主役を務めた大国の面影などはなく、過去の栄光とはほど遠い、ヨーロッパの片田舎の観が強かった。そういう経験から、今回のポルトガル訪問も、さほど期待していなかったのだが、街の様相の変わり様には、いささか驚いたというのが正直な感想である。
 今回のポルトガル行きでは、まず最初にリスボンの北320キロメートルの所にあるポルトという街に飛行機で入った。ここはポルトワインで有名な街で、前回の印象は過去の建築物が多く、石畳の歩道など日本とは異質のヨーロッパの街並が残っているナ!ということだった。しかし、今回は、その旧き良き街の雰囲気に新しい装いが見事に調和して、新旧のコントラスが私の目に華やかに映った。
 このポルトでの、変わった!という第一印象を胸に秘めて、私は車で途中古い大学の街で知られるコインブラでランチをし、リスボンに向かったわけだが、ヨーロッパの道路は走りやすい(ポルトガルはさほどでもないが)という感覚は、今回も同じであった。リスボンまでの高速道路はおおむね3車線に分かれていたが、どの車線も最低速度が決められている。日本では最高速度が100キロと厳しく規制されているが、ヨーロッパでは、逆に最低速度を順守しなければならない。この高速道路では、一番の高速ラインが90キロ、次が70キロ、3車線目が50キロと表示されていた。つまり、最速車線では90キロ以下で走ってはいけないということである。
 日本では考えられないことだが、こうした合理的な規制、高速道路の機能アップを当然とする法律があるがために、車の流れがスムーズなのである。このため日本のように、料金ばかりがバカ高くて、年中工事をしており、ちっとも高速道路ではないなどという批判が生まれてこないはずであると、日本で走る時にいつも感じる不条理が頭をよぎるなか、車はリスボンの街に到着した。これがまた、前回のさかな臭くて貧しかった街の雰囲気は一新され、かつての豊かさを彷彿させる装いで覆われていたのには驚いた。ポルトガルの国土は日本の4分の1で人口は1千万人。しかし、日本とは一番ヨーロッパで古い付き合いの始まった国だけに、港町として栄えたリスボンには、日本に縁のある様々な物がある。それらを見物していると、大海原を越えて東方の端にまで貿易の領域を広げた当時のポルトガル人の熱い想いが伝わってきて、興味が尽きない。
 その後、友人のフランス人銀行家の別荘に招かれていたので、そちらに向かおうとしたのだが、ポルトガルで借りたレンタカーはフランスでは乗り捨てができないということで、ポルトからは400キロメートルなのに空路でパリまで行く羽目となった。知人の別荘は、パリから約800キロメートルも離れているビアリッツにあるので、そのまま車で行きたかったのだが…。

 パリに下り立った私はすぐに最も速く走れそうなレンタカーを探し、私の好きなホテルの一つでもあり、パリの常宿とも言えるヴァンドーム広場のホテルリッツに向かった。当日はパリ祭の日(7月14日)で、恒例のパレードや花火で一年で一番にぎわう日であり、夜のパリを十分楽しみ、翌朝は再び高速道路を走るドライバーとなった。パリは毎年のように、すでに数十回も訪れていて私の大好きな街である。その愛しの街に後髪を引かれる思いを振り切って、めざすビアリッツまでの800キロメートルを約7時間で走り抜けた。
 フランスでは晴れの日は130キロ、雨の日は110キロで、最低速度は80キロと速度制限はあるものの、日本のように速度違反の取締りもなく、時速にすれば計算の通りということになる。日本の道路でこのスピードで走ればかなり疲れるはずだが、点数を気にしないせいもあるがヨーロッパのアウトバーンは快適そのものである。
 道路の路面が真っ平で轍がなく、ほとんどが3車線の直線でカーブが少なく、中央分離帯の多くはプレハブコンクリート製であり、45度以下の浅い角度の衝突ではシートベルトをしていれば二重衝突がない限り人身事故とはならず、設置費も安く補修費もほとんどかからない。また、工事箇所などもほとんどなく、一車線の幅や路肩の幅も広く、路肩との区切りはガタガタと振動で感ずる白線で仕切られるとともに、吸水性の良いアスファルト舗装が施され、所々スリットが入っている所もあり水捌けも申し分ない。たまたま天気の良い日に走ったが、雨が少々降っていても、こうした高速道路への行き届いた配慮が、高度な高速安全性を約束しているのである。アウトバーンでは高速車には道を譲るという運転マナーのせいもあるが、ドイツ、スイス、フランスなどでは140〜150キロで走っている車を見事なまでにビュンビュン追い抜いていく。最速ラインではどの車も160〜190キロぐらいは出している感じだ。日本の高速道路と比べたら、実に流れが速い。スピードが速いということは物流コストが下がるということだから、日本の物流コストが高いのは、事故の全てを運転者だけの責任とし、道路の構造の問題としないで厳しく取り締まる警察と、非効率な道路公団の事故を招くような粗末な設計で一年も待たずにできる轍で毎年補修を必要とする舗装工事と、それで潤う特殊法人と関連会社との癒着のせいでもあるというものだ。
 百年に一度あるかないかの30人か50人と予想される直下型地震で高速道路の倒壊による死亡者のためにと、何百億、何千億と効果が期待できない耐震補強工事にお金をかけるよりも、投資と効果を考え、毎年何千人もの死亡者の出る道路と車の構造と設計の見直しにお金をかけるべきでなかろうか。かなりの重大事故でも生還するサーキットの教訓と技術をこれに生かすべきだ。

 フランスの保養地といえば南フランスだが、ビアリッツの街は大西洋側にありながらコートダジュールにも負けない風光明媚な所で、ナポレオン3世の保養地としても有名でカジノあり、リゾートホテルあり。しかも隣がスペインとて物価も安く、バスク人が多く住み、家政婦やベビーシッターなどにも恵まれ、素晴らしい避暑地である。フランス人は夏はバカンスと決めている。キャンピングカーに自転車を積んだり、ボートやバイクなどを載せて牽引した車を連ねて南フランスやスペインへと出掛け、1年間の稼ぎの大半を夏の1〜2カ月に及ぶバカンスに費やす。日本ではキャンピングカーもボートもバカ高く、おまけに高速道路での牽引やバイクの二人乗りなども規制されエンジョイできないのに。
 一泊お世話になる別荘の持ち主である友人も、1年の大半をパリと南麻布の超高級マンションで暮らしているが、持ち家はこの別荘のみらしい。以前は彫銀家が住んでいたという60数年前の古い屋敷だが、アトリエあり、プールあり、裏庭には果樹園ありと、私には羨むばかりの瀟洒な造りだ。もちろん、敷地も広大で、その開放感といったら、日本ではなかなか味わえないものであった。
 一般的にフランス人はよく仕事をする人ほどゆったりと人生をエンジョイし、バカンスも徹底的に楽しむ。日本人は、仕事が生きがい、仕事が無くなると苦痛という向きが多い。ハッピーリタイアメントを送れないのも、そうした気質によるところが大きい。しかし、欧米のキリスト教の考え方は、仕事は義務であって、日曜日は安息日。「家族と楽しむために仕事をする」のであって、日本人のように「仕事そのものが楽しみ」という考え方は存在しない。リスボンなどでは、土曜日の午後と、日曜日は商店は休みという、日本では思いもつかないことが日常化している。こうした事からも、仕事に対する考え方の違いがわかろうというものである。
 そんな感想を述べている私だが、やはり私も日本人の一人なのかと苦笑する。パリから友人の別荘に1泊2日で出かけた私は、その間、スペインのサン・セバスティアンなどに寄ったこともあって、パリからだけでも往復2000キロメートルの道のりをハンドルを握って走り続けたことになる。一週間ほど滞在したらと勧められる中、あくる朝帰ると言ったら「あなたはアウトバーンを見に来たような旅ですね」と言われてしまった。ナポレオン3世が王妃のために造った別荘と言われるパレスホテルでの素晴らしいディナーで、ソムリエの勧めた甘口のワインの味が忘れられない旅でもあったが。