藤 誠志エッセイ
マスコミの罪


空出張、官官接待、公共工事の談合、こういったことは、今に始まったことではない。各市町村、県、国のすべてにおいて、例外なく営々と数十年に亘って半ば公然と行なわれてきたことは、改めて言うまでもない。詳しいことはわからないまでも、おそらく空出張や官官接待の存在を知らないという公務員はいないだろうし、談合のなかった公共工事もほとんど存在しないと言っても過言でなかろう。
 国や公共団体に物を販売する際、そこには必ず談合が存在すると言ってよい。そして、民間の市場価格と異なった割高ないわゆる官庁価格がある限り、談合はなくならないし、この談合を取り仕切るための建設業組合など様々な業界団体が存在し、政・官・業の癒着の構造を構築する担い手となっているのも事実である。
 今日の日本においては、公共事業の受注はもとより規制とその緩和のさじ加減、補助金支給の可否も含めて、官を通した恩恵を受けるには、政治家、官僚の協力が必要である。これが癒着の温床であり、こうした本来あってはならない癒着構造が長い年月続けられた結果、既存優位で新規参入を拒む高物価社会を作り上げてきたと言ってもよい。
 そして、こうした事実を何十年に亘って見過ごし、否、見て見ぬふりをして現在に至らしめたマスコミの責任は大きいと言わざるを得ない。
 取り締まるべき警察や裁判所、検察の建物も工事はすべて談合で決まる。当然、これらの工事も国民の税金で賄われるのだが、今話題の空出張の経費しかり、官官接待で使われる飲食代しかり、民間よりも20〜30%は高いといわれる公共工事の費用もまたしかり。まさに、官僚や公務員が国民の税金を自らの金と勘違いし、仲良しグループでやりたい放題に遣っていると言われても弁解の余地はなかろう。

 官僚は自らの出世と所轄の省益のために政治家に媚びを売る。政治家は票と金を得んがために一部業者に便宜を図る。本来は公平であるべき許認可やほとんど不必要なバカバカしい補助金もこれを知らなければ貰えず、知って申請しても政治家を通さないといろいろ難癖をつけられるため政治家に金を払い、票を斡旋して便宜を買う。
 『政治家は金と票を貰い、官僚は出世が約束され、一部業者は利益を得る』というシステムが、ずっと続いて今日の特異な国・日本を作り上げたと言ってもよいだろう。
 時々、投書などにより、こうした癒着の一端が表面化することがあっても、ほとんどが「トカゲのシッポ切り」のように大事に至らず終わってしまう。本来マスコミこそが先頭に立って、今日の歪な社会を作った政・官・業のトライアングルをきっちり正していかなければならないにも拘らず、今回もまた曖昧な報道に終始している。こうしてマスコミが毅然とした態度を採らない現状では、一人二人の政治家や官僚の悪行が世に炙り出されたとしてもかえってそれがガス抜きとなり、何らかの改革、改善にもなり得ない。おそらく、記事を書いている人間も、それを読んでいる人間も、どこの官庁でもやっていることと知りながら、“濡れた犬は叩け”とばかりに、表面化したことだけを一斉に記事化し、白々しく非難し、広く一般的に行われている事実に目をふさぎ知らんふりをする。

 戦後、否、ずっと以前から連綿と続いてきた村社会の談合体質を変革するには、産みの苦しみを伴うことは間違いない。しかし、こうした癒着の構造を糾弾せずに、新規参入を拒む非関税障壁や法でない法と呼ばれる行政指導が幅を利かせているようでは、日本の社会は市場経済を掲げているものの、真の資本主義社会ではないと諸外国に白い目で見られている状況を変えることはできないだろう。
 今回も岡光厚生事務次官が、特別養護老人ホームの建設認可と補助金交付をめぐる贈賄容疑で逮捕された小山容疑者から利益の供与を受けたとして、大きな話題となった。だが、事件そのものよりも退職金が支給される依願退職を認めたということに耳目が集中してしまい、焦点がぼやけた観は否めない。退職金がどうのこうのよりも、そうした汚職に関わりながらも政界に転じたり、天下りを繰り返して退職金を何重にも受け取れるような癒着構造そのものに異議を唱えるべきではなかろうか。
 岡光氏自身にしても、周りの皆がやっていることで、なぜ自分だけが運悪く渦中に巻き込まれたのかとの気持ちだろう。岡光氏を弁護する気持ちはさらさらないが、彼の事件を教訓として、現在の制度、構造の腐敗に目を向けるべきである。私はまず入札制度の改正が必要であると考える。応札者が適性規模となる程度に厳しい予定最高価格と検査基準を公表して談合するメリットをなくすることを提案したい。それが、癒着構造を打破する突破口になると考えるからである。
 とにかく、現在の公共工事の入札制度は自由競争を排除している。価格が下がり過ぎてはちゃんとした工事ができないという屁理屈で、入札最低価格を設けるとともに、工事保証人と称して同業者が保証しないと工事が請け負えないというオマケまで付いているのである。まさに、“皆で仲良く談合しなさいよ”と、談合の温床を官自らが率先して作っている構図が浮かび上がってくる。

 時々、投書があって落札する予定業者が名指しされ談合の事実が明るみに出ることはあるが、“談合はなかった”との念書を取り交わした上で入札し、しかるべき業者に結局落札されるという奇妙な結果になることが多い。こうした“みえみえの子供騙し的なやり方”を、白々しく鵜呑みにして一件落着とばかりに報じるマスコミには再三がっかりさせられる。腐り切った政・官・業のゴミ箱に、マスコミがご丁寧に蓋をして、高物価、豊さの実感できない国にしてしまっているのだから、救いようがない。
 貧しい時代に、少ない予算を等しく配分して皆で分かち合おうという弱小業者救済の主旨で生まれた談合制度も、談合に預かれる既存の一部業者には結構ではあるが、国民から見れば泥棒である。この制度こそは政・官・業癒着の元凶なのだから断じて放置したままではいけない。
 今こそ、構造腐敗の温床を取り払うチャンスである。マスコミは不偏不覚、社会正義実現のために自信を持って、断固とした抜本的改革を施す環境を創り出してほしい。