先日、アトランタ・オリンピックを参観する機会を得た。20年前にモントリオールの開会式を参観して以来、国際的に最大のイベントと呼べるオリンピックの開会式はぜひ今後も観てみたいという思いにとらわれ、モントリオール大会以降では、日本が参加しなかったモスクワ大会とその直前に訪問の機会があり会場だけを視察したバルセロナは別として、ロサンゼルス大会の閉会式、ソウル大会の開会式、そして今回のアトランタ大会の開会式と、都合4回![]() 参加国も過去最高の197ヵ国にもなり、入場時間が余りにも長すぎるのには閉口したので、今後は数ヵ所から入場を図るなど工夫されて然るべきではないかと思う。また今回の最終聖火ランナーが全く公表されず、誰が最終聖火ランナーなのか、固唾を呑んで見守る中、そのランナーがモハメド・アリだとわかった時の一瞬の静寂の後の大拍手は、組織委員会のお手並みの程を鮮烈に物語っていた。その割れんばかりの拍手は、一歩も走れない彼が最終聖火ランナーに最も相応しいことを観客が承認したことを如実に表していたが、彼を選出したアメリカという大国のバランス感覚の素晴らしさに私は拍手を贈りたい。 アトランタは黒人が70%近くを占める都市だけに、彼は黒人を代表して選出されたという背景が一つにはある。また、かつてのオリンピックの金メダリストであり、ボクシング界最強のチャンピオンとしての名声も選出の大きな理由と言えよう。さらに、現在パーキンソン病を患う身障者に対しての思いやりの配慮も窺える。そして、かつてカシアス・クレイという名の彼がイスラム教に改宗してモハメド・アリと改名した経緯を踏まえて、イスラム教への配慮も含まれていよう。 しかし、私が感銘したのは、こうした背景・要因があるとしても彼がベトナム戦争の徴兵を拒否した人間であるにもかかわらず、檜舞台の最終点火ランナーに推薦されたという事実であった。すなわち、過去は過去、民族や宗教、人種、ものの考え方の違いのすべて超えて、星条旗の下に一致団結しようというアメリカの懐の広さ、深さを垣間見たように思えたからである。アリとは北朝鮮の平壌国際スポーツ文化祭典以来一年三ヵ月ぶりの再会だったけれども、私の目にはパーキンソン病の一層の進行が痛々しく感じられた。しかしアリにとっては人生最良の一日となったことであろう。 また、聖火ランナーの中に、私の知り合いでもありアメリカ上院予算委員会の共和党スタッフメンバーの一人である中林さんもいて、その後、ワシントンで彼女と会食する機会を得た。彼女との話の中で、迫りつつある大統領選挙の情勢分析に話題が移ったが、その際彼女の「ドールは強いですよ」との言葉が非常に印象深く今鮮やかに甦って来ます。 第二次世界大戦に参戦し、右手の自由を失ったことを同情されたくなくていつも右手にペンを持つドールと、ベトナム戦争での徴兵逃れを疑われ、またホワイトウォーター土地開発疑惑では共同経営者が有罪判決が下されたにもかかわらず最近のネガティブキャンペーンに辟易してきたアメリカの世相に助けられたクリントンとの間には、当時はまだ支持率の差が20ポイントもあり、クリントン圧勝の空気がアメリカには満ちていた。たとえ、ドールが共和党大統領候補に選ばれたとしても、到底勝ち目はないものと目されていた。その時期に彼女の「ドールは必ずやります。それに、ドール夫人が凄く聡明で美しい人ですよ」という発言は印象に残った。私は共和党の心情的ファンで、東西冷戦に勝利した「アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、日本の中曽根」と、当時のラインを今も高く評価している一人として、その発言に嬉しく感じて帰国した。それが、先日、サンディエゴで行われた共和党全国大会でドールが大統領候補に選出され、一気に支持率でクリントン大統領に肉薄したことを知り、中林さんの洞察力に改めて敬意を表することとなった。 共和党全国大会の一週間前には、オリンピックを最大限に利用したこともあって、クリントン支持53%に対しドール支持33%と、20ポイントもの支持率の差があったのが、大会直前の調査で11ポイント差まで縮まり、さらにドール候補の指名受諾演説を行った直後に実施された調査では、多分にご祝儀相場ではあろうが、44%対42%と僅か2ポイント差にまで縮まってしまった。 短期間でここまで追い上げた理由は、ここのところの共和党の分裂気味な意見の違いを、本来の彼の中道的姿勢からシフトして最近の「反福祉、反税金、反国家」を標榜する中産階級の保守的な白人(ミドルアメリカン)たちのリバータリアニズム(強固な個人主義を貫く自由主義の一種)の傾向を受けて、「アメリカ・ファースト!」という標語に見られるような、国内問題優先の姿勢と中絶問題などでより保守的な政策を公約としたことにより再度団結を保ったことと、また、彼が掲げる「小さな政府」の主張が受け入れられたことによることは言うまでもない。 かつてのレーガン大統領が推進した大減税政策を彷彿させる経済政策、すなわち"所得税を一律15%カットする" "最高税率28%のキャピタルゲイン課税を14%に引き下げる"といった思い切った減税策が国民に受けて、支持率の急騰となったのである。 また、行政改革で政府職員の大幅削減を図り、小さな政府をめざし、対外的なコミットメントを縮小して、国内向けの問題に重点を置く政策も評価されたようだ。世界の警察官としての過剰負担を軽減し、北朝鮮に対する軽水炉の供与や、PKOなどに参加して国連など他の機関の傘下に入るようなことを避け、「強いアメリカであって、しかも、国内問題を重視して国際的なコミットメントをできる限り省いていく」政治姿勢が、ドールの人気の秘密と言えよう。 現在、日本は沖縄米軍基地の縮小・移転問題でもめているが、今やキッシンジャーでさえ4年後の日米安保条約の改定(更新)はともかく、やがては廃棄されるだろうと言い出しているだけに、ドールが大統領に選出された暁には、アメリカ側から安保条約を廃棄したいという申し出がないとも限らない。 第2次世界大戦後、民主党の大統領で二期連続勤めあげた前例はないわけだが、とうとうクリントンまでもが公然と「福祉削減」「小さな政府」と言い出したので、今までのジンクスを破って今度は多分クリントンが再選されるのではないかと思われるけれども、最近のアメリカの保守化傾向は覆い難いものがあり、楽観は許されない。 こうした政策中心のアメリカ大統領選挙を見るにつけ、日本の単に数合わせによる連立政権、政策不在の不毛の政治体制を私は憂える。社民党が自民党色を強めたのか、自民党が社民党化したのか、節操なき妥協の産物とも言える現政権の政治姿勢は情けない限りである。 4年に一度のオリンピックと、4年に一度のアメリカ大統領の選挙は目が離せない一大イベントだが、日本の政治は議席を失うのが怖くて、いつまでも解散を先送りして任期満了まで惰性で行き着こうという情けない「現職エゴ」ばかりが目につく醜態である。 今回、バブルが崩壊して不良債権問題、資産デフレ不況、異常超低金利政策など、様々な社会問題を引き起こしているが、これなどまさに官僚と政治家の責任と言っても言い過ぎではない。バブル期に高騰した地価が、5倍になったから5 ![]() とにかく大蔵省は、言いなりの加藤政府税調を使って、今やアメリカではフラット税制が叫ばれ累進税率の緩和が合唱されている中、未だに地方税と併せれば最高65%の超累進所得税を放置したまま「少数からの大幅増税こそ、一番批判も少なく美味しい税制」で税は取れるところから取れとばかり、一般大衆が関係しない税制改正を目論んでいる。すなわち資産家の資産からや、頑張って利益を上げている企業から、減価償却制度の見直しや、各種引当金の廃止・縮小により税収を増すことが、最も手っ取り早い増税策と踏み、さらにM&A(企業の合併・買収)での買収資金ののれん代の償却期間を延長したり、定率と定額を選択できる現在の償却法を、大幅増税となる定額償却法に一本化しようとしている。これは全く実情を無視した無謀な計画であると言わねばならない。 氷の溶ける現象を見ればわかるように、氷は決して定量ずつ溶けず、表面積の比率で溶ける、これが物の道理であり、こうした価値の減価の原理を無視して、税収が多く見込める定額に固執する姿勢は絶対に許せない。 バブル崩壊により、相続税の支払いで全ての相続資産を売っても支払えない悲劇が裁判沙汰となるなど、バブル期に設けられた多数の税制や諸制度の不備が社会問題にまでなって来ている、このまま放置すれば、アメリカを後追いする国民性ゆえいずれ日本にもリバータリアンが反税金闘争・タックスペイヤーズ・ レヴォルト(納税者の反乱)を行ってくる可能性なきにしもあらず。 官僚に行政改革を望むべきではないが、今の大蔵省のように財政均衡を増税で求めるべきではなく、行政改革による歳出減で臨むべきである。"必要なだけ税収を上げるために血眼になるのではなく、集まった税金でやってゆく"という体制を整えなければならない。そのためには、抜本的行政改革を断行する政権が誕生しなければならない。新党問題ばかりが脚光を浴び、政策がなおざりの観が強いが、少しはニュージーランドを見習うような政策で政権を担うような健全な政治体制を確立したいものである。 |
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