藤 誠志エッセイ
報道と教育の改革が急務


アップルタウン発刊10年
 総発行部数38,000部となった本誌も今号で120号を迎えることとなった。この10年間は、まさに経済大国日本のバブル経済の絶頂から資産デフレ不況の極みの10年であり、自らの歴史観と世界観に基づき、日本を俯瞰して毎月その月の一番印象の深かったことを総括した社会時評エッセイを書き綴った10年でもある。
 このエッセイの私の論調は、日本の一般の新聞や雑誌に比べてストレートであるとか、過激だとか言われているが、むしろごく当たり前の世界の常識を書いてきたにすぎない。見方を変えれば、いかに今日のマスコミ常識が世界の常識からかけ離れているかを示していると言えよう。複数の地方紙を読めば明らかだが、自社で社説を書く地元紙を除けば、自らの論点で社説すら書けない地方紙も多く、全国の地方紙の記事や論説は画一的に書かれていて独自観がない。
 今朝の新聞も「ブッシュ新大統領の就任式」について一斉に報じているが、某地方紙によれば、ブッシュ氏の就任式について『新世紀の「世界観」を示さず』『「内向き」目立つ就任演説』『お祭りも湿りがち』と報じている。が、こうした地方紙の記事は(ワシントン21日共同)といった記述で始まっていることが多い。
 これは、共同通信が21日に発信したニュースを取り上げ掲載していることを表している。すなわち、共同通信が全国の地方紙に配信したニュースを切り貼りしたことを意味しているのである。
 日本最大の発行部数を誇る読売新聞が1,000万部の読者を有していると言われていて、その影響力は大変大きい。しかし、共同通信の配信に頼る地方紙の総部数は実に3,000万部。読売新聞の比ではない。私が危惧するのは、これら多くの地方紙の主要記事の大半は、共同配信の記事とほとんど変わらないのに「共同」との記述がなく、署名はないがその地方紙の記者の観点で書いたものと錯覚して読者がそのまま鵜呑みにすることである。
 今回のブッシュ大統領就任に対する共同通信の論調は、『異常選挙の影を引きずり、米国の世論が二分。混乱の中での多難なスタート』というものである。が、一方、読売新聞を見れば、『「米社会の統合」強調』のタイトルが目を引き、社説では「新たな世界地図の構築が課題」としながらも、『就任演説でブッシュ新大統領は、「礼節と勇気、思いやりと品格」に満ちた政治を行い、「正義と機会のある国を築く」と約束した。』とのおおむね好意的な記事となっている。さらに、産経新聞は、『「勇気と品格の政治を強調」というタイトルとともに、公正と機会ある一つの国家建設に取り組むと国民に約束し、礼節と勇気、思いやり、品格の政治を強調した』と報じ、これまたブッシュ政権誕生を歓迎している。
新聞の行間を読み真実を掴む
 同じ大統領就任式を報じる立場にありながら、共同通信による配信を受ける地方紙と、独自に特派員を派遣し、その署名記事を載せている読売や産経との違いが際立つ。こうした差を見せ付けられると、私は昨年問題となった石原東京都知事の「三国人」発言を思い起こす。これは共同通信が都知事の「不法に入国した三国人」との発言において「不法に入国した」をカットして「三国人」だけを意図的に配信したことによって、引き起こされたものであった。
 「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝ふ」との言葉があるが、日本のマスコミは意図的にこうした「神の国」「銃後」「支那」と別に失言でもない発言の一部をつかみ取りして、大変だ大変だと報道する悪癖がある。そして、そんな記事の垂れ流しで知らず知らずに洗脳され、自らの見解も意見も言えない思考停止状態の国民が非常に多い。本来、新聞記事は行間を読むものであり、その真意や意図するところと真実はどうなのか、といろんな新聞を読み比べて推論することが新聞の読み方であると私は思っている。だから、一紙だけを読んでいる人にとって、行間を読んだり、真意を見抜くことは甚だ難しい注文と言えよう。共同配信に頼る地方紙や、A紙の報道だけに接していれば、それがすべて正しいと信じても致し方ない面がある。いわゆる進歩的文化人と称されたい自称インテリたちは、そういった報道を真に受けて世界の現実を洞察せず、今朝の新聞記事を記憶しあって「お前もそのことを知っていてそんなふうに思うのか。俺もインテリだけれども、お前も結構インテリだなあ」と互いに満足し安心している姿を見るに付け、馬鹿馬鹿しくてため息しか出ない私である。
 私は小学校の頃より新聞を読むのが好きだった。そして、読みながら、広がる世界観とその行間に埋もれる意図や真実を私なりに検証して掴み取ってきたつもりである。そんな中で培った判断力と洞察力が私の事業経営にも役立ったことは言うまでもない。バブル期には収益還元法に基づく資産評価から販売に回り、売上・利益の拡大を図り、バブル崩壊後は地価と金利と投資利回りを勘案して、逆に資産拡大の絶好機として飛躍的に事業を成長させることができた。人間は本来保守的な生き物であり、過去の一点と現在の一点に線を引き、その延長上に未来を見たがるが、往々にして世の中はサイクルであり「上がれば下がり、下がれば上がるものだ」とその潮の目を読み、必要とあっては意を決して決断し実行すべきだ。しかし、大きな流れは比較的正しく見ることができても、時としては局面局面で判断を迫られることも多い。「真実は何なのか」を、自らの見聞と体験で掴んだ世界観と歴史観に照らして読み取らねばならない。そんな先見力と洞察力で真贋を見極め、行間を読み取る能力がなければ、マスコミ報道に翻弄されることとなり、事業も失敗することにもなりかねない。
共和党政権は日本の望むところ
 今回のブッシュ大統領就任に対して、A紙は「国民の負託に疑問。選挙で投票者数の過半数の支持を受けておらず、国民も政策の変更を求めていない。選挙の激戦が尾を引き、いがみ合いしか起きていない」と論じている。一方、日経新聞は「米国民は新政権に好意的。米紙世論調査で、政権移行手続き全体について、国民の59%が賛同できると回答した」と論じ、前述したように、この両紙においても全く反対の報道がなされている。産経新聞はさらに『「日米安保」新時代へ、アジア安定の柱、知日派ら最強布陣、晴れ舞台で目に涙、就任式に感極まる』と最大級の賛辞を載せている。
 日本の国益とアジアの平和と安定を考えるなら、ブッシュ政権の誕生は願ってもないことである。日本にとっては、8年間のクリントン路線に決別して新しい外交戦略を推進する好機が到来した。クリントン政権は力の論理についての認識が甘く、外交政策ひとつを見てもファジーでジャパンパッシング、と日本など眼中にないが如く無視して中国とは戦略的パートナーであると関係を強化。頭上にテポドンを飛ばす北朝鮮には核開発計画を断念させるためにと日・韓に軽水炉建設の資金供与を要請したり、金大中大統領と金正日総書記の南北朝鮮首脳会談のお膳立てまで行い、日本や台湾を軽視し東アジアの力のバランスを崩すような愚劣な外交政策を行ってきた。
 今回のブッシュ大統領の誕生が、中国や北朝鮮にとっていかに衝撃的であったかは、急いで中国が金正日氏を秘密裏に呼び寄せて、上海や北京で極秘会談をしたことが物語っている。パワーポリテックスの支配する東アジアにおいて、日本・米国・台湾が手を携えて中国や北朝鮮、さらにはロシアに対し、力の空白域を作らないようにしていかなければならない。
 そうした観点で米国の新大統領誕生を眺めれば、ブッシュ氏率いる共和党政権は日本の望むところである。
日本を覆う閉塞感
 それにもかかわらず、民主主義の原則である正規の手続きでの多数決で選ばれた大統領の選出を疑問視する日本のマスコミの無責任な報道姿勢に問題があることは言うまでもない。が、それを鵜呑みにしてしまう国民の短絡的な迎合ぶりにもいつもながら呆れ果てる。もともと学生時代から自分で考えることもなく、与えられた知識や情報を丸暗記して、疑問を持たぬゆえ成績が良い、そんな成績の良さだけを求める現在の教育制度に大きな欠陥があることは何度となく述べてきた通りである。そんな記憶力重視の偏差値教育と誤った歴史教育が、社会に出てもマスコミ報道を信じて疑わずに丸暗記し「自分も知識人である」と誤認する社会を創り、今日の閉塞状況を生み出してきた。
 今回のブッシュ政権の誕生は、日本もそろそろ変わらなくてはいけないという機会を与えてくれたような気がしてならない。しかし、知日家、親日家のブレーンが多いブッシュ政権は、こちらの手をよく知っている点で逆に手強いかもしれないが、日米対等の時代を迎えるにはまたとないパートナーと言えよう。そのためには日本も確固とした国家戦略を持ち、失われた10年を取り返さなければならない。米国の冷戦終焉後の金融戦略で、東アジアは完膚なきまでに叩きのめされた。日本も、バブル崩壊によるスパイラルに続く地価の下落で始まったデフレ不況を地価の安定でケアしないで、超異常低金利と公的資金の投入・不良債権の切捨てでカバーしようとしてモラルハザードを起こし、それが閉塞感となって日本を覆い、今なお将来に暗い影を落としている。まさに政策不況である。
 「この国民にしてこの国の政治がある」というまさに言い得て妙なる言葉であるが、今の日本はマスコミ報道に振り回される国民と、その国民の顔色ばかり覗う政治家が跋扈する国になり下がっている。だから、現在の日本の延長線上でしか世界を見ることができない一部メディアは、分裂と混乱の中で生まれた米国の新大統領は政権基盤が弱いと捉えがちだが、案外ブッシュ氏は手強い。こんな米国と対等に渡り合うには、国家としての目的意思を明確にし、国民一人ひとりが自らの世界観と歴史観のもと、報道と教育のあり方を糺し、自らのことを自ら決める自己決定能力を持って、自国の歴史に自信と誇りを持ち、日本を覆う閉塞感を打破しなければならない。