藤 誠志エッセイ
マスコミ煽動の政変劇


大義名分のなき戦いに勝利なし
 私は常日頃から、「大義名分のない戦いは負ける。錦の御旗を掲げてこそ、勝利の女神は微笑む」と言い続けているが、その言葉通りとなったのが今回の加藤紘一元自民党幹事長の愚挙である。
 加藤氏の一連の自民党内乱劇は、野党の力を利用してあわよくば総理をというものであったが、結局は予想通り自らの派閥からも見放され、惨憺たる結果となってしまった。私は脱党も新党の立ち上げもする勇気も能力もないまま野党幹部と連絡を取り合い、数合わせの徒党を組み、森総理を引き摺り下ろそうと野党の不信任案に賛成し、内閣を総辞職に追い込むという大義名分のない戦いに加藤氏が走り始めた段階から、この戦いは勝ち目はないと思った。
 謀(はかりごと)は「同志を束ね、密なるをもって火急に行うべき」にもかかわらず、派閥の結束も計らず唐突にマスコミ関係者に決意を漏らし、世論が味方してくれると期待してテレビで森総理の低支持率をあげつらい、ましてや間を置き地元に帰れば相当の突き上げが予測され結束が乱れる事が十分に考えられる中、土日を挟んでの月曜の採決に持ち込んでは可決できるはずがない。
 マスコミに煽られての今回の騒動で、自らの派閥は分裂し政治能力と識見を疑われまさに四面楚歌の状況であり、同情的なのはマスコミだけであり、ハッキリ言ってこれで加藤氏の政治生命は尽きた。
 総理には解散権がある。不信任案が可決すれば解散すると毅然とした態度を示せば、選挙を終えてわずか半年足らずで、また苦労して時間と金を使って選挙運動をしたいなど与野党を問わず誰もが望んでいない。
 政治家にとって何が大事かとなれば、それでは困るが議席である。命に次いで大事な議席を半年で失うこととなれば借金だけが残り、地位も名誉も一夜のうちに消え失せることとなる。だからこそ、解散ではなく内閣総辞職を叫んで世間を巻き込む大騒ぎになったわけだが、加藤氏にそうさせたのは「もしや」の妄想を抱かせたマスコミである。
 かつてのバブル潰しの大合唱や消費税騒動でのバカ騒ぎなど、日本の世論はマスコミに煽られ山彦現象となって一色となるが、今回もまた例外ではなかった。
 森内閣は支持率が低い、だから、総辞職すべきだという。が、「失言あれど失政なし」という言葉に代表されるように、森総理は平成になって10人目の総理で過去のどの総理と比べてもそん色なく、外国に出かけても絵になり、頑張ってよくやっている。
 物議を醸すのは必ずマスコミとの関係で、私の見る限りでは、森総理の足を引っ張る最大の原因は「ヒガミとヤッカミ」の日本社会の嫉妬心である。加藤氏にしても心の底に「小渕氏亡き後は本来なら自分が総理になるはずであった」という思いがあったに違いない。だから、森内閣の支持率が20%を切ったところで自らの支持率が高いわけでないにもかかわらず、森総理の低支持率を追い風に、政権奪取ができるような錯覚に陥ってしまったのである。そのため、加藤氏の口から、総理でもないのに「森総理に内閣改造はできますか、内閣改造は私の手でやります」という不用意な発言がポロッと出る羽目になったのである。そして、その言葉に捕らわれて何の計画もなく今度の空騒動になったわけである。
 私はあの一言を聞いて「この騒動には大義名分などない。これは加藤氏の負けとなる」と、確信していた。にも拘わらず、マスコミは森内閣不信任案が可決されると騒ぎ立てていた。
政治のドタバタ劇で日本売り
 この政治のドタバタ劇に呼応するように、為替は110円台と円安が加速し、併せて株価も下落した。株が下がり、円が売られたということは、「日本が売られた」ことである。つまり、日本の信用が失墜したことを意味する。
 原因は言うまでもない。この程度の政治をやっている国、このような報道に終始している日本への嘲笑と信頼感の低下であり、民主主義がいまだに成熟していない国と烙印を押されたのである。
 政治家たるものは国家・国民のことを考え、自らの政策を掲げ、その政策に共鳴する仲間を募り、政策を実行することが本道である。
 今回の加藤氏と山崎氏の関係も、盟友関係と言いながらも釈然としない。憲法に対する考え方一つにしても、改憲論者と護憲論者で大きな隔たりがある加藤氏と山崎氏が、今回の加藤氏の大義名分のない戦いに山崎氏が連帯行動をとったこともいただけない。
 さらに、全ての野党と組んで内閣不信任案を可決できたとしても、加藤政権を誕生させるためには国会で過半数を確保しなければならない。そのためには共産党の支持が不可欠となるが、加藤氏は共産党から支持を得て総理になるつもりだとしても、共産党は加藤氏を支援するとは限らない。ましてや森総理が総辞職をするはずがない。当然解散にうって出る。
 それを知ってか知らずか、不信任案の可決の手応えは100%あり、自らも総理になれる可能性もあると思う思慮のなさ。挙句の果ては涙ながらに山崎氏と二人だけでも賛成票を投じると駄々をこねる有り様。そのテレビに映し出された姿は子供のそれとなんら変わりなく情けない。
高支持率は長期安定政権を約束せず
 そういう思いに囚われる中、海外に目を転じれば、米国の大統領選の混迷ぶりも日本に勝るとも劣らずの観が強い。ブッシュ氏、ゴア氏の互角の勝負はフロリダ州という一州の得票が明暗を分ける事態にまで及んでいる。彼らもまた、親の七光りの二世である。そんな二世議員の宿命ともいえる、魅力の乏しさが災いしての接戦のように私には思えてならない。互角の得票数はどちらが大統領になっても同じという米国民の意志の表れといってもよいのではなかろうか。
 今や勝敗は裁判所の判断となり、従来の機械集計を重んずればブッシュ氏の勝利、手作業による集計を認めればゴア氏に勝利の可能性もあるという。そんな状況下で、フロリダ州の最高裁判所の判決が大きく結果を左右する。そして、判事に民主党支持者が圧倒的に多いという現状が選挙結果の混迷に拍車をかけるとことになっている。
 結果的に私はブッシュ氏で落ち着くだろうと見ているが、なかなか世界のリーダー・米国の大統領が決まらないというのは米国の国益からも世界的にもマイナスの要素が大きく、「日米トップ受難の世紀末」となってしまったようだ。
 さらに、トップ受難と言えばぺルーのフジモリ大統領で、2選で辞めておけばよかったものを、権力に魅せられたものか、憲法を改正してまで3選に固執し、当選はしたものの、一番頼りにしていた顧問の国家情報局モンテシノス氏の野党議員買収工作の現場ビデオが国民の前に暴露されて辞任に負い込まれるとはなんとも哀れな話である。
 日本大使館占拠事件の解決と、1000%を超えるインフレを解消しペルー経済を立て直した辣腕ぶりが称えられ、熱狂的な支持者も多く、一時は70%強の支持率があったのが信じられない幕切れである。
 かつて、ブッシュ氏の父親も大統領時代に湾岸戦争の勝利で支持率が90%にまで上り、次の選挙も勝利間違いなしと言われたものだが、再選されずにクリントンが大統領となった。支持率が高すぎるのもまた、反動減が怖い。そう考えれば、重箱の隅を突くような言葉じりをあげつらうマスコミのピラニアの沼にはまった象のような森総理も、慎重で的確な言葉と十分な情報開示によりマスコミとの関係を改善して、スパイラルに続く資産デフレ不況に歯止めをかければ支持率も上がり、今回の危機を乗り越えたことを追い風に参議院選挙まで政権は安泰。参議院選挙で勝利して、長期政権のシナリオも現実味を帯びてくるというものだ。とにかく、泰然と大道を行けば、道は自ずと開けてくる。
新世紀の日本はハイテクノロジー大国
 今回の加藤の乱は、YKKと亀井(バックに中曽根氏)の森総理後継争いの構図が根底であり、戦略も戦術もなしに自分が動けば「世論が味方となり、橋本派が森退陣に動く」との読みが、野中氏の「欠席・賛成は除名処分」との脅かしで加藤派が腰砕けとなって自滅した。これで加藤・山崎両氏の目はなくなり、この後の後継候補としては、参院選前の小泉(この場合は森派会長として大義名分が必要)VS禅譲待ちの亀井の争いとなっていくことだろう。しかし、こうした権力争いは古今東西どこにでもあるものだが、民主主義政治のおろかしさを苦笑するうちはまだよい。これが独裁体制ともなると心底怖い。
 一千万人以上もの政敵・国民を殺したスターリンや大躍進政策により数千万人もの餓死者をだした毛沢東、三百万人もの自国民を虐殺したポルポト、今も餓死者を出し続ける金正日の狂気には恐れ入る。そんな身近な歴史が示す教訓を胸に刻み込んで、世界を見るべきであろう。世紀を超える今、科学技術の飛躍的進歩による壮大な環境破壊と大量殺戮の20世紀を総括し、21世紀の日本は国民一人ひとりが自らの歴史観と世界観をしっかり磨いていける教育と、マスコミも煽動報道ではなく何が本当か真贋を国民が判断できる客観報道に徹していかなければならない。そうでなければ、世界から「この国民のレベルにして、この国の政治がある」と、信頼の失墜を招くことになる。
 日本は高物価・非効率社会から脱するため政・官・業の癒着を断ちきり、高物価・非効率の温床である公社・公団・財団などを民営化し大幅行政改革と、公共工事を箱ものからインフラの整備へとシフトし、高速物流情報網(高規格高速道路・高速新幹線・全国光ファイバーネットワークなど)の整備を図るとともに、「IT・バイオ・ナノ」の3大テクノロジーを21世紀を切り開く主流産業として据えこの産業の育成に努めれば、もう一度世界に名立たる経済大国として再興できるチャンスがある。それらのテクノロジーを実用的に利用する基礎的な土壌は十分に整えている。悲観的になる必要など微塵もない。政策決定能力を持つ強いリーダーのもと、物づくりに励む本来の日本に戻れば、日本の進む道は明るさに満ちているのである。
 ただ、何度もこのエッセイで警鐘を打ち鳴らしていることだが、世界の平和のためにも東アジアに力の空白域をつくらないように憲法を見直し、独立自衛で必要最小限度の軍隊を保有できるようにする。そして、現行安保条約も平等互恵の双務的な安保条約に改正するとともに、米国の金融・法律・情報・知的所有権などの巧妙な国家戦略や、中・朝・露の恫喝外交により戦後の物づくりで得た貴重な千三百兆円の金融資産を奪われないように十分な警戒が必要である。