上兵は謀を伐うつ |
防衛研究所勤務の海上自衛隊の三等海佐が、在日ロシア大使館の駐在武官に自衛隊の機密情報を漏らしていたとして、警視庁は昨年9月から海佐の監視を続けていたが、相手のロシア軍参謀本部情報総局(GRU)所属のビクトル・ボガチョンコフ海軍大佐の任期が終了し帰国が間近に迫ってきたため、ラストチャンスとなる先日、二人の密会現場をおさえ自衛隊法(守秘義務)違反の疑いで逮捕した。 GRU(グルー/赤軍参謀本部情報機関)は1918年10月に設立されたロシア(旧ソ連)軍の秘密情報機関であり、かのゾルゲ(1943年国防保安法違反などで死刑)もグルーの機関員であった。第2次世界大戦下の日本におけるゾルゲの目的は、満州事変以降の日本の対ソ攻撃計画を探知し、ソ連への侵入を阻止することであった。朝日新聞の記者であった尾崎秀実らと情報組織を作り、諜報活動を続け、日本にソ連へ戦争を仕掛ける意志のないことを本国に知らせた。これにより、ソ連は対独戦争に専念できたと言われる。結果、ドイツ軍に勝利できたことを考えれば、ゾルゲの諜報活動がもたらした利益は、何十万人の軍隊にも匹敵する計り知れないものであったということが言えよう。 ソ連にはGRUと同じ情報機関でKGBがあったが、第2次世界大戦までは両者は仲が悪く死闘を繰り返していたとされる。国家権力は絶えず特殊部隊や謀略・情報機関を2つ以上持ち、互いに争わせて管理することを常套じょうとう手段としていると言われるが、世界を眺めても、米国では米国国家安全保障局(NSA)や、CIAにFBIなどが、英国でもジェームズ・ボンドを雇用している機関として有名なSIS通称MI6にMI5やSASがあることからも、この説は的を射ているようだ。 冷戦が終結して、日本においてはスパイ小説が昔話のように語られるようになった現在でも、CIAにMI6・GRUやモサド(イスラエルの諜報機関)にムハバラット(イラク国家情報局)など熾烈な情報戦は今も続いている。映画の中の世界の出来事のように感じているのは、世界で日本人だけかもしれない。 第2次世界大戦直後の1946年1月、既に始まった冷戦に勝利するため英米間で秘密情報、とくに通信傍受と暗号解読についてグローバルな協力関係を続けていくという合意が成立し、いわゆる「エシュロン」体制が発足した。この「エシュロン」システムこそが、米ソ冷戦を西側の勝利に終わらせ、また湾岸戦争や国連外交での米国の唯一の超大国路線を確立させた最大の支柱である。それが今や国家の利益だけに止まらず、産業スパイもどきの民間情報の盗聴(無線・電話、ファックス、Eメール)や暗号解読に没頭し、自国企業の利益のために狂奔しているのだから、空恐ろしい限りである。米国のひとり勝ちにはちゃんとした凄まじい理由があるのである。 そうした諜報活動などが当たり前の諸外国に比べて、伝統的に日本においては盗み聞きとか盗聴、謀りごとなどは卑劣な手段で武士道にもとる行為であり、現代にあってなお、国家による防諜のための対策の一つである「スパイ防止法」すらない。今回も、三等海佐とボガチョンコフ海軍大佐とが情報交換をしている現場において現行犯で身柄を確保したものの、ボガチョンコフ海軍大佐には任意同行を外交特権で拒否され、出国されてしまった。三等海佐にしても、自衛隊法の守秘義務違反の罰則は「1年以下の懲役または3万円以下の罰金」という軽微なものである。 かつて自衛隊員の宮永がソビエト大使館のGRU要員のコズロフ大佐に秘密情報を売り渡した事件においても、主犯の宮永は「金をもらってソ連に軍事機密を提供した」部分は一切起訴されず、自衛隊法第59条の守秘義務違反として量刑は1年以下の懲役であったと記憶している。また、現行法では守秘義務のある公務員は一般職だけであり、大臣、政務次官、委員、参与、嘱託、大臣のブレーンなどには守秘義務の罰則規定すら適用されない。 民間の企業秘密の漏洩に至っては、窃盗や業務上横領などで処理されているのが現状である。情報が短時間で世界を駆け巡る国際化の中で、法整備を含め国益に沿った情報管理のあり方を検討する時期に来ているのではないだろうか。もちろん、戦時中の悪法として名高い治安維持法に基づく、特高警察による思想・言論統制のような人権無視の横暴などは論外であることは言うまでもないが・・・。 かの有名な「孫子の兵法」に「上兵は謀を伐ち、その次は交を伐ち、その次は兵を伐ち、その下は城を攻む」とある。孫子は、最上の勝ち方は謀略によって敵を屈服させるという意味であるが、この場合の謀略の「謀」の意味は、「戦いをしない全ての手段」ということであり、孫子の時代からいかに情報戦が大事であるかを物語っている。 |
資料的裏付けで明かす「歴史の真実」 |
そんな思いで三等海佐の不祥事に接していた折、正論10月号に掲載された中西輝政京都大学教授の「日本の、覚悟を問う」という論文に強い共感を覚えた。中西氏は大東亜戦争が日本人自身からも公正な歴史の評価を受けていない現状と、湾岸戦争の持った意味がいまだに十分理解されていないことの2点に遺憾の念を抱き、世界が再び国際政治の本来の形態である「多極化」の様相を浮上させてきた中、日本がこのままでは「試練の二十一世紀」に迷い込むことを危惧している英明の学者である。私は彼の論じるところに連帯感を抱き、ここにその論文のすべてを述べることは紙面の関係上無理があるものの、要点だけを抜粋して掲載したい。 中西氏は米国で出版されたロバート・スティネット氏による『欺瞞ぎまんの日―FDRとパールハーバーの真実』という本を読み、衝撃を受けたという。この本はいわゆる「真珠湾もの」の一冊で、日本軍の奇襲をルーズベルト大統領とワシントンの政府首脳部はその場所が「真珠湾」であること含め事前に知っていながら、それをハワイの米太平洋艦隊司令長官にあえて知らせなかったとされる、いわゆる「ルーズベルト陰謀説」を説く本である。一方では、もし分かっていればあれほど甚大な損害を座視することはなかったはずとの「反陰謀説」を唱える本も多く出版されており、この両論を巡る「古くて新しい論争」は決定打のないまま、今日まで続けられてきた。 だから、中西氏も最初これまでの「真珠湾ものの焼き直しだろう」とたいした期待もせず手にとったという。しかし、読み進むにつれて、この本は「五十年にわたったモヤモヤ」をすべて取り払うだけでなく、決定的ともいえるいくつかの重要文書を含め、膨大な新資料の発掘によって従来の論争にピリオドを打つものだと感じたと述べている。 この本では、ルーズベルトが刻々と真珠湾に迫る日本機動部隊の動きを逐一知っていたことを膨大な資料を掲げて実証しつつ、ルーズベルトが日本による「卑怯な不意打ち」を演出して米国を大戦へ導いていったことは正しかった、という結論を出している。民主主義を擁護し英国の苦境を救うために、米国は何としても国民の9割近くが欧州への参戦に反対している戦いに参戦しなければならなかった。そこで、戦争を嫌う大多数の米国民の迷妄を覚ますためには、格好の時期にドイツ・イタリアとの同盟に踏み切った日本を体系的に極限まで追いつめ「暴発」させ、「最初の一発」を射たせる陰謀を企て「裏口から欧州参戦を果たしたことは疑いなく正しい選択」であったとスティネット氏は語る。 日本はマッカーサーやニミッツ、ハルゼーらに敗れたのではない。彼らは端役でしかなく、米国の物量が戦争の主役であったわけでもない。究極的かつ決定的な意味で日本を撃破した主役は、開戦前にほぼ全ての日本の外交・軍事暗号の解読を可能にした人々であったとこの本は鮮明に語り続け、1940年春の「ダンケルクの奇跡」が暗号解読による「演出された奇跡」に過ぎなかったことや、情報が国の存立に決定的に関わることを西洋人が骨の髄まで知り尽くしていることを如実に物語る例として、1941年4月のイングランド中部のコヴェントリー市に対するドイツ空軍の大空襲を事前に把んでいながら、英首相ウィントン・チャーチルは、対抗措置をとることでドイツ軍が暗号解読の事実を疑うことを恐れ、数万の市民の命を犠牲にした。このことは今日に至るも英国の大多数の人々に倫理的に正しい決断だと容認されている。それほど、暗号や秘密情報活動は、国家の生存や歴史の進路に決定的重要性をもつことが広く認識されているわけであり、それは戦時、平時の区別なく、国際関係の常識となっていると中西氏は述べている。 |
誤った歴史観が冷戦後日本の崩壊を促す |
この本の圧巻は、「日独伊三国同盟」の結成された日米開戦前の1940年10月に、ルーズベルト政権によって裁可された「対日開戦促進計画」の文書である。これは8項目からなる段階的な「日本追いつめ」のプログラム一覧表であった。米国の対日政策はこのシナリオ通りに進行していったとされる。 確かに本書によって改めて印象づけられるのは米国の「凄さ」ということかもしれないが、それは決して「謀略」などという次元のものではない。それは国家が生き残ろうとするとき当然のこととして示す「犠牲」の発露と見るべきであって「米国の凄さ」に嘆息して済む話ではない。 こうした情報量の決定的な格差によって無残な敗戦の坂を転げ落ちていった日本の姿を中西氏は21世紀の日本にも重ね合わせている。彼はいう。近年よく語られる「戦略なき日本」という問題の立て方は誤っており、それはまず何よりも「情報なき日本」という問題であり、21世紀を前に日本はまず覚悟を新たにし、見据えておかねばならないことは、情報と論理に基づく、冷厳な「合理主義の精神」の力強い回復であり、それが国際社会で生存するために不可欠なのだと言いきる。 さらに、戦後の日本は、あの戦争を全て否定し、東京裁判によって形成された自虐的歴史観に裏付けされた全ての責任を日本が負うべき、という戦争観に基づいて、憲法、教育、思想、政治、経済、社会、文化、学術などあらゆるシステムと価値観が構築されてきたと嘆いている。この戦争の歴史観の誤りが、60年目にして初めてこれほどはっきりした資料的裏付けを伴って浮上してくるとき、その誤った歴史観・価値観によって成立した戦後日本という社会が全面にわたって自然発生的に崩壊していくと語る中西氏の危機感に同調するのはおそらく私だけではないはずだ。 私が前号のエッセイでも語ったように、闇雲な謝罪外交に明け暮れ、現在のような内政干渉とも言える言動にも抗議しないでいると、戦後の半世紀に額に汗して蓄えた1300兆円の金融資産を奪い取られてしまうことは必至である。そうならないためにも、歴史を正しく総括し、国防と外交の独立性を確保し、米国を対等のパートナーとし、正しい歴史教育に基づき自国に誇りを持ち、未来に夢を託せる人づくりを全力で行っていくことが急務な課題である。そうしたきっかけの一助ともなり得るスティネットの書『欺瞞の日』の翻訳本が日本の書店に並ぶ日が待ち遠しい。 |
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