藤 誠志エッセイ
森総理の新世紀戦略


IT新次元、ポストPC
 かつては南北問題と称する発展途上国と先進国との貧富の格差が問題となっていたが、今はデジタル・デバイド(情報化が生む格差)が問題となっている。早い話がパソコンを操作できるかできないかによって生まれる格差と言えようが、高齢者などにとって厳しいそのデジタル・デバイドを乗り越える可能性を秘めているのが、携帯電話の進化である。
 NTTドコモを始めとして携帯電話事業の国際的な提携・再編の動きが加速する中、次世代規格のWAP(ワイヤレス・アプリケーション・プロコトル)やW-CDMA(次世代移動通信システム)などのサービスが2001年にはスタートするという。パソコンを操作できない人も、携帯電話なら操作ができ、インターネットもできる。発展途上国では有線電話の整備が進んでいないが、携帯電話ならインフラ投資をせずに情報化社会へ移行していける。だから、次世代のプラットホームとして携帯電話の普及と発展はすさまじい限りだ。価格も操作性もパソコンよりはるかに手軽な携帯電話が、発展途上国や貧困層を巻き込んで、パソコンに変わって情報化社会の主役に躍り出るのは至極当然のことなのかもしれない。
 すでに携帯電話自体が音声情報のための機械の域を超えつつある。フィンランドでは自販機に電話番号が明記されていて、そこに電話すると数秒後にゴトンとコーラが出てくる。コーラ代は通話料と一緒に請求される。自販機だけでなく、同じシステムを使ったパーキングやゴルフ練習場のボール販売機などがあるという。ゆくゆくは指紋識別機能付き携帯電話で、各種の料金支払いや役所の手続きまであらゆるサービスが受けられることとなる。
 さらに、バイオテクノロジーも急速に進歩し、ヒトゲノム計画では塩基配列の解析が急ピッチで進んでおり、携帯電話に埋め込んだDNAチップにごく少量の唾液などを付着させれば、チップが解析した遺伝子情報をもとに個人の識別・認証ができるとともに、病院のコンピュータと繋いで病気の診断などができることになるのも近い将来に実現すると思われる。
携帯電話から主役は音声入力パソコンテレビへ
 携帯電話に押され気味のパソコンもこれまでのキーボードを操作する時代を超えて、ナノテクノロジーの進歩により、これからは音声入力操作が主流になり、どんなファジーな言葉もその都度補正しながら認識する学習能力を持つパソコンソフトが開発され、「ひらけゴマ!」宜しく、パソコンに向かって必要な会話をするだけで、リアルタイムにコンピュータが対応する。対話型の音声認識パソコンで、例えば「何月何日、どこからどこへ行きたい」と言えば、その航空券の予約から決済まで、空港のカウンターにいるのと同様にチケットの手配ができることになる。
 こうした対話型のパソコンに翻訳ソフトが付加されれば、国際会議なども激変する。なぜならば、このような知能コンピューターの登場で、英語から日本語、さらにドイツ語など各国の言語に瞬時に翻訳が可能となり、世界中の人がテレビの前に座って会議し、それぞれ自国の言葉でしゃべれば相手の望む言語に瞬時に転換、希望言語に即刻翻訳、速記録はその場でプリントアウトできることとなり、国境の垣根も低くなり、言語の障害も消え、人々は携帯型翻訳機を持って世界を旅する時代となろう。
 冷戦勝者米国は、軍事技術の民間開放により全盛時代を迎え、インターネット・パソコンなどIT産業が米国好景気の牽引車となってきた。しかし、今からは次世代移動通信システムの普及により、形勢は一気に逆転する可能性が高い。日本にはゲーム機やiモード携帯電話はもとより、得意分野の家電で反撃に出られる可能性が高いからだ。なぜなら携帯電話のその先にある未来型情報機器の中心は、テレビと思えるからだ。
 音声入力機能と双方向通信機能を併せ持ったデジタル高機能プリンター付パソコンテレビが、世界的な統一規格のもとに普及すれば、プラットホームがテレビとなり、従来のキーボードパソコンは陳腐化し、高機能携帯電話と高機能テレビが主役の時代となる。そう考えれば、世界最強の家電王国日本の未来は明るい。
インドとの友好関係を強化
 そういった期待感が高まる中、森総理がこれまであまり日本の首相が訪問しなかった南西アジア諸国を訪れた。特に、パソコンソフトの技術者を多数要するインドに重きを置いた今回の訪問は、歴代総理が重視してこなかった地域だけに、総理の先見の明とその意義を称えたい。
 21世紀は米国と中国の対立軸で世界が動いていくこととなろう。その中国に次ぐ人口を有するインドを軽んじてはいけない。多くの貧困層を抱える階級社会インドとは言え、10億の国民のうち、上流階級が1割としても1億人。その人たちの多くは英語を日常会話とし、パソコンソフトやIT産業に従事している。米国のシリコンバレーがIT関連景気の発端となったように、インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールを森総理がインドで最初に訪れ、IT分野での協力関係の強化を図ったのは、さすが森総理ならではの鮮やかな手腕である。
 これはIT分野だけにとどまる関係強化ではない。インドは中国に次ぐ人口を有し、核を保有し、堂々と大国中国と対峙している。敵の敵は味方といってはなんだが、インドとの友好関係をさらに深めていくことこそ日本にとっては大事なことなのだ。先の大戦で日本とともに戦った独立の志士、チャンドラ・ボース氏や東京裁判でのパール博士を思い起こしても、日本とインドには浅からぬ絆がある。今や、米国一辺倒の外交政策から、360度見渡しての外交をする時期に来ている。
 自主憲法を制定して独立自衛の軍隊を持ち、現在の日米安保条約を改正して双務的で平等互恵の安保体制に転換を図るとともに、米国との友好関係を堅持しながらもインドとの関係強化を推し進め、台湾やEC諸国とも友好関係を深め、中国に対しても謝罪や媚こびに終始することなく対等の関係で臨むことが日本の21世紀外交の基本方式であるべきだ。
 南西アジア諸国は大東亜戦争によって西洋列強の植民地から解放された国が多く、東アジア諸国とは異なった対日感情を持ち合わせている。日本のお陰で独立を勝ち得たという意識もあり、それだけに日本に対し好印象も持ち続けていることは言うまでもない。
 闇雲やみくもに謝罪外交に明け暮れ、現在のように内政干渉とも言える言動にも抗議しないでおればいずれこの先、南北朝鮮の統一のための費用負担、核の威嚇による中国からの恐喝的な経済支援の要求、核大国ロシアからは法外な北方領土買取要求、米国からは知的所有権(特許権・意匠登録・著作権などと合わせて最近のビジネス特許)とデリバティブと称する詐欺的金融手法や罰金、反則金、賠償金などの不当な法的請求に闘うことなく和解に応じていれば、戦後の半世紀、額に汗して貯めた1300兆円の金融資産も奪い取られてしまうことは必至である。
戦後タブーに挑む森総理の勇気
 一刻も早く世界の常識である「力の論理」に立脚した外交姿勢に転換すべきであり、そのためにも現行憲法を廃止し、地域情勢を視野に入れた自主憲法の制定が急務である。同時に、現在の教育崩壊とも言える現象は戦後の記憶力重視の偏差値教育の弊害から来ている。与えられた知識を丸暗記するのみで考えることを放棄した教育は、バーチャル空間での殺しても生き返るファミコンのゾンビの世界のように、「人を殺す経験をしてみたかった」との言葉に代表される、10代の短絡的で残虐な犯罪を生み出してしまった。このような現象は、自国の歴史に誇りと自信を持てる教育をしてこなかった戦後のツケが一気に噴出してきた観が強い。正しい歴史観を持ち国家・国益に思いを致し、家族愛と人類愛を持ち、社会貢献に意義を感じる人づくりを行うためにも、現在の教育基本法をすぐ改正することが必要なことはここで改めて述べるまでもない。
 森総理は勇気を奮い立たせてタブーに手を付け始めている。ヒステリックなマスコミの揚げ足取り的な報道に屈することなく、20世紀最後の総理として21世紀を展望した政策を打ち出し頑張ってほしい。もちろん、日々着々と実行している姿勢には感銘を受けてはいる。
 そんな意気軒昂な森総理が今にも退陣しそうな報道が新聞誌上を賑わしている。では次期総理は誰なのかとなると、歴史観も世界観もなく中国に媚こびを売るK氏、亡き父の権威を笠に歯に衣着せぬ批判はすれど建設的意見のないT嬢にもとても、抗議するクルスク号の犠牲者の母親に背後から鎮静剤を打つKGBあがりのプーチンの支配するロシア、またラングーン事件や大韓機爆破、日本人拉致に核開発疑惑、頭越しにテポドンを発射する北朝鮮、さらに中華思想に凝り固まり戦略核ミサイルの照準を日本の主要都市に合わせ、先の戦争において南京で30万人を虐殺したとでっちあげて騒いでいる中国など、パワーポリテックスの支配する厳しい東アジアの中心に位置する日本の現状に鑑みれば、とても日本の舵取りを任せられない。そんな現実をみれば、森内閣が参議院選挙の比例区に非拘束名簿式を導入して勝利し、官僚が支配する硬直した国家体制の基である政・官・業の癒着体質を断ちきり、小さな政府を目指した都市型の新生自民党に脱皮を図り、引き続き長期安定政権となることを期待したい。マスコミの誹謗中傷など意に介さず、自分が信じる道を国益に沿ってまっしぐらに突き進んでほしい。そうすれば、後世の歴史家たちが、戦後最も功績のあった総理の一人として森総理を評価する時代が必ずや来るに違いない。そのためにも、郷土の生んだ偉大な総理にますますのご活躍を願ってやまない。