藤 誠志エッセイ
賢者は歴史に学ぶ


感銘の書『歴史の真実』
 先日、株式会社経済界が主催する「関西経済界クラブ」で講演してほしいという依頼を受け、会場のホテルニューオータニ大阪まで出掛けた。依頼を受けるまで知らなかったのだが、月例講演は20年以上も前からスタートし、歴代の講師は第1回の永野重雄日本商工会議所会頭を始めとし、以後堺屋太一氏、瀬島龍三氏、樋口廣太郎氏、宮内義彦氏、稲盛和夫氏などそうそうたるメンバーであっ た。
 その中、私が247番目の講師となり、「私の世界観」というテーマで1時間強の講演をさせていただき、創業の頃、世界50カ国以上を見聞した体験、その体験から生まれた世界観、さらに逆張りの発想と呼ばれる経営哲学までを話したわけだが、その講演依頼を受けた際に、前記経済界が発行している一冊の本の贈呈 を受けました。
 その本の著者は前野徹氏、タイトルは『歴史の真実』、副タイトルは「わが愛する孫たちに伝えたい」とあり、同時に、私が高く評価している政治家・石原慎太郎氏と竹村健一氏の両氏が絶賛推薦!と讚え、「先人の血涙と心の慟哭が聞こえる」の帯タイトルの文字に心躍らされて手に取った。読み進むうちに、まさに言い得て妙。前野氏の渾身の著作のとりこになってしまった。
 その内容のすべてをこのエッセイの中で紹介できないのは残念である。毎月、10年近くにわたり本誌社会時評エッセイを書き綴る私と相通ずるところの多いこの本には、言葉に尽くせぬ連帯感を抱いたことは言うまでもない。文中、東京裁判について書かれた冒頭の部分と、とりわけ印象に残った箇所を抜粋して紹介したい。
 「極東国際軍事裁判は、俗に東京裁判と呼ばれ、終戦直後、開かれたこの裁判により日本の戦犯たちが連合国から不当な裁きを受けました。と同時に、東京裁判の有罪判決により、よき日本の伝統はすべて否定され、日本人の精神的風土は土台から破壊されたのです。
 今、日本はかつてない混迷の中にあります。あれほど繁栄を誇った日本経済は、バブルの崩壊を境に、活力をすっかり失い、企業ではリストラの嵐が吹き荒れ、景気は出口のない暗いトンネルの中をさまよい続け、人心は荒廃の一途をたどっています。新聞を開けば、通り魔殺人、子殺し、親殺し、罪なき小学生の衝動殺人、官僚腐敗、警察の不祥事などと、日本人のよき精神風土は、あたかも霧散してしまったかのようです。この元凶となっているのが、東京裁判によって形成された自虐史観だという歴史的事実を現在、指摘する者はあまりいません。しかし、まぎれもなく今の日本の荒廃は、あの東京裁判に端を発しています。
 しかし、今では当たり前と考えられているこの日本人の歴史観に、今から五十年前に警鐘を鳴らす外国人がいました。ほかならぬ、極東国際軍事裁判の判事のひとり、ラダ・ビノード・パール博士、その人です。博士は、国際法に照らせば日本は無罪であると主張し、この不当な裁判によって、日本人の将来が暗くなるのでは、とたいへん危惧されていました。日本を侵略国と断じた東京裁判の有罪判決で、それまで築き上げられた日本の伝統文化はことごとく否定され、日本の歴史がゆがめられ、大東亜戦争(太平洋戦争)をめぐる真実は封印され、以後、日本人はある種の罪悪感を植えつけられ、多くの日本人が日本の歴史や伝統文化を東京裁判史観に基づき否定的に眺めるようになりました。自身気づいているかどうかは別にして、今、多くの日本人たちが自虐史観にさいなまれ、日本民族としての誇りや思想を失い、日本人としてのアイデンティティを喪失しています」
 さらに、前野氏の心の慟哭は続く。「日本人のみが、東京裁判から五十年以上たった今でも、その正当性を疑おうともせず、東京裁判史観に呪縛され続けている」
 「毎年、八月六日の広島原爆記念日の席上やニュースで必ず聞こえてくるのは、私たちは、あの過去の悲劇を二度と繰り返しませんという反省の言葉です。また、広島の原爆慰霊碑には、安らかにお眠りください、私たちは二度とこの過ちは繰り返しませぬからと刻まれています。これはどう考えても納得がいきません。悲劇を繰り返しませんと言いますが、加害者は原爆を投下して二十万人もの命を奪ったアメリカです」
 「なのに、なぜ、被害者であるはずの日本が原爆投下を謝り続けなければならないのか。これはわれわれ日 本人の間に、自虐的な史観が刷り込まれている証拠です」
 やわらかい文体ながらもそう語り続ける筆者の熱い想いが、読むたびに私の深奥に突き刺さる。
白人種のみが優秀人種という思想
 この本を読んで脳裏に蘇った思い出に、私がかつて97年の夏、レンタカーでリスボンからポルトガルの最も西側にあり、風が強くて有名なロカ岬を訪れた際のこと。その地に一本の碑が立っていて、そこには「陸ここに終わり、海ここから始まる」という有名な言葉が刻まれていた。つまり、15世紀末から16世紀にかけての世界観は、この地がヨーロッパの最西端であって、そこから先は文明の及ばない未開の地という証しの碑なのだ。となると、未開の地に住むインディオも、アラブ人も、黒人も、東洋人もすべての有色人種は劣等民族であり、白色人種のみが優秀人種で、その他の民族は皆蛮族で動物に近く、絶滅させてもよいと考えていたことは容易に窺い知れよう。爾来じらい、400年間にわたって世界は西洋列強に植民地支配を受けることになった。
 今から28年前に私がメキシコのユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡を訪ねた時のことである。紀元前5世紀頃から2000年間にわたって栄えたマヤ文明が、16世紀の初めに突然終焉を迎えたのは、メキシコに着いたスペイン人がマヤ人の男の多くを殺し、女性だけを残して同化政策を進めたからだそうです。現在、かつての現地人(インディオ)とスペイン人の混血、いわゆるメスチソがメキシコ人の大多数を占めているのにはこんなわけがあるのだと、それを現地の人から聞き私はすごいショックを受けたものでした。
東アジアの力の空白域「日本」
 現在の日本を取り巻く状況は予断を許さない。ロシアでは強国ロシアを標榜するKGB出身のプーチン政権が誕生。南北朝鮮首脳会談による雪解けムードを日本の国民もマスコミも政治家も歓迎一色であるが、この連邦国家の樹立による経済的負担を戦前・戦中・戦後の賠償補償とばかり、日本に求めてくることを承知のうえでの歓迎なのだろうか。
 東西ドイツ合併の際は西ドイツがそのコストを負担し大変な目にあったことを考えれば、南北朝鮮は連邦制をとり、北朝鮮の経済復興負担を日本に求めて一定の所得水準に達して初めて統一国家を作ることとなる。日本のすぐ横に、化学兵器や細菌兵器に核をも持っているかもしれない6千7百万人もの人口を擁する大国が誕生するならば、近隣の力のバランスを崩すものであり、日本の国益を考えればそれは歓迎すべきものではない。
 自らを料理する包丁をせっせと研いでいる能天気な日本が作り出す力の空白域ほどうすら寒いものはない。 日本が、かつて400年にわたる西洋列強による世界侵略と支配を受けず、賢明な鎖国政策と明治維新によ る富国強兵策により、ついに1902年に日英同盟を結び、その後の日露戦争に勝利したことを世界は驚嘆したという。それまで有色人種が白色人種と対等な条約を結ぶなど考えも及ばなかったし、まして強国ロシアと戦い勝利するとは思ってもみなかったからだ。このことがアジアやアフリカの国々に勇気を与え、その後の大東亜戦争の結果、アジアやインド、中近東、アフリカなどで、植民地支配を脱して数十カ国の独立国が生まれた事実は、前述の前野氏の『歴史の真実』に詳しく書かれている。
日本の資産デフレがもたらす低金利で好景気を謳歌する米国
 戦後の経済復興は歴史的快挙と言えるが、これは冷戦時に支配される平和に甘んじ漁夫の利で得てきた代償であって、このツケはしっかり支払わされることとなろう。稼ぐことは知っていても使うことは知らず、貯め込ましても消費される心配のない日本人にしっかり貯め込まさせた1300兆円もの金融資産を、超低金利と知的所有権(特許権・意匠登録・著作権などと合わせて最近のビジネス特許)とデリバティブと称する詐欺的金融手法で、米国はこの後ごっそり奪っていこうとしている。まるで、働きバチが働きづめで集めた蜜をいただくように。
 バブルの崩壊とともに、スパイラルに続く地価の下落による資産デフレがもたらす不良債権の増大で痛んだ金融システムの崩壊を、不動産政策減税で地価の安定を図り防がなければいけないところを、政府は公的資金の投入と国民の老後に備えての金融資産を犠牲にして、超低金利によるフローでケアすべく、ゼロ金利とも言うべき金利で、金融機関の救済やゼネコンの借金棒引きに大童である。そして、米国にタダ同然の資金を注ぎ込み、米国は実に8年にも及ぶ好景気を謳歌し続けているわけで、その米国が発行している国債をせっせと買い込んでいる日本にとって、いずれドルが暴落すれば、ドル建て債は金利を稼ぐどころか、元本までもが大きく割り込む悲劇に見舞われないとも限らない。
歴史に誇りを
 私は感銘を受けたこの書『歴史の真実』を早速、親交のある森総理や河野外務大臣にお届けした。賢者は歴史から学ぶという。この本に書かれていることは今の日本の原点が米国による日本の戦後処理にあることを鋭く突いている。民族と歴史に誇りを持てる国であるために、媚びない国であるがために、そして、支配される平和に甘んじない国になるために、どうしたらよいのかというヒントが満載されている本である。
 私はこの本を学校の歴史の授業に活かしてほしいと願ってやまない。歴史の真実を知ることから、日本という国に誇りを持てる人間が育ってくると信じて疑わないからである。同時に、国民が自分の国に誇りを持てないようだと、いずれその国は滅んでしまうと思うからである。
 かつて中国の首相李鵬氏が「日本なんていう国は20年もすればなくなってしまう」と言った。それから3年が経ったが、このままなら本当に17年後にはそうなってしまうかもしれない。そうならないためにも、一日も早く自虐史観から脱却し、日本民族としての誇りを取り戻し、日本人としてのアイデンティティを確立することが肝要だと思う。