新世紀への期待を込めた年頭所感 社会時評エッセイストとして私はいつもエッセイの執筆の締切に追われる身であるが、特に毎年暮れは年賀の名刺広告の「年頭所感」の締切時期とも重なって、多忙がさらに多忙を極める羽目となる。 その年の指針ともいうべき年頭所感は、昨年は「大競争時代の到来を千載一遇のチャンスと捉え・・・」であり、その年頭所感の発表から早1年が経った。振り返ってみると、まさに昨年は千載一遇と言っても良い百年に1度のチャンスの年であったとも言える。 数多くのビジネスチャンスに恵まれ、数々のホテルと収益ビルの建設と取得、マンション事業も全国的に展開することができ、資産デフレ、貸し渋り不況といわれる今日において、大きな躍進が果たせた年でもあった。 その最高の1999年の余韻そのままに、今年の年頭所感は 来るべき新世紀 知恵は情熱を育み、情熱は創造性を培う 自由な創造、妥協なき追求 研ぎ澄まされた感性が時代の空気を鮮明に 最上の確信を求めて、今 限りないロマンに全力でトライし 願望は自ら実現する。 と考えた。 先日、ある人にこの年頭所感の構想を話したところ、情熱が知恵を育み、知恵が創造性を培う、のではと言われた。ちょっと考えるとそう思いがちだが、果たしてそうだろうか。むしろ、私にすれば、情熱をもって一生懸命熱心に勉強すれば、知恵は生まれる、と考えるのはこれまでの記憶力重視の発想のように思えてならない。 戦後の偏差値教育では、一生懸命勉強すれば、知恵が生まれると信じられてきた。しかし、知識は努力すれば多く詰め込めるかもしれないが、知識の断片をどれだけ多く記憶していても、それだけでは決して知恵にまで昇華し得ない。読んだり聞いたり教わったりして得た知識を、自らの経験、体験、知見と検証して自らの世界観の一端に付け加えてはじめて、知恵にまで昇華できるものと私は信じている。 こうした思い入れを込めた2000年の年頭所感を解説するならば、読んだり教わったりして得た知識が経験を通じて知恵となり、生きるうえでの目標を発見し、その目標達成意欲が情熱を育み、情熱がより未知なるもの、新しいものへのトライを促して創造性が培われる。そして、あらゆる制約から解き放たれた自由な発想が無限の創造性を生み、妥協のない真理の追求と研ぎ澄まされた感性がその創造に加わってこそ、今、全ての人々が求めている時代の空気を鮮明に捉えることができ、自らにとっても、人類の未来にとっても、最上のものであるという確信が得られるのであり、その確信に対して限りないロマンをもって全力でトライすれば、願望はひとりでに実現できる。」といった意味が、今年の年頭所感である。 創造力が日本の未来を決める 今から21世紀において大切なことは願望は自らの力で実現するものであって、出来なかったことを、もののせいや人のせいにしてはならないということである。そして自らの力で勝ち取ったもののみが自分のもので、労せずして与えられたものはいずれ奪われることが多い。 自己責任原則ということは、ハイリターンにはハイリスクが伴い、ローリスクではローリターンしか得られないということであるが、他にとってのハイリスクと思われる事を知恵と創造力でローリスクに変え、自らにとっての高収益を求めることなのである。 ノーリスクはノーリターンで、動かない車は事故を起こさない。高リスクを低リスクに変え如何に高収益を得るかは、まさに一人ひとりがどのように決断し実行していくかにかかっていると言えよう。 私が第三ミレニアム最初の年である本年の年頭所感に、今からは「創造性」がなによりも必要、と思いを込めたその日の日本工業新聞の第一面に、私が今日本で一番評価しているジャーナリストの櫻井よしこ氏の「目覚めよ!日本」のコーナーに『独創性だけが頼み』という日本再生へのメッセージが掲載された。今の日本をどう分析していますか?という問いに、櫻井氏は「出来の悪い受験生をもった親の心境でしょうか。先生に志望校は無理と言われても、うちの子だって勉強さえすれば大丈夫というような…。たしかに勉強すれば成績は上がるかもしれない。けれど、勉強する、しないを含め、すべては本人の能力しだい。勉強すれば…では駄目なんです。今の日本もその辺をしっかりかみしめないと。」と答え、日本経済についても、「日本経済を出来の悪い受験生に例えれば、ようやく、本人が「このままではいけない」と気付き、教科書を整理し始めたような段階と、バッサリ斬り捨て。 さらに、いい方向にもっていくには、どうすれば?という問いには、「かつて日本人はエコノミックアニマルと言われながらも、世界一といわれる製品や技術をたくさん持っていました。だから海外から憎まれながらも大きく成長できたわけです。でも、いま足元を眺めて世界に誇れるものがどのくらいあるでしょう。驚くほど減っていますよね。まさに溶解現象と言っていい。今後、日本は新しい価値の創造にどれほど力を発揮できるか、真価が問われるところです。独創的な製品や技術を開発していけるかどうかが、日本の将来を決めるでしょう。今のようなコンピューター社会の中で、必要とされる人間の能力は創造性だけです。人間にしかできない仕事を他に先駆けていかにやるか。でも日本人はこれが不得手ですね。今の日本は、政治でも、経済・社会でも、創造性のない人が上にいくシステムになっていますからね。・・・」と答えている。 記憶力勝者から創造力勝者へ 冷戦勝者・米国が独り勝ちしている要因は、技術的情報の開発力と応用力であり、それは冷戦時の軍事技術の民間開放に端を発している。その独創的な技術に伴う特許や意匠・システムといったソフトが世界経済に支配力を生み、その効果はデリバティブという金融商品にまで波及している。 こうした独創的な技術によって加速度的な進化を遂げ、世界を瞬く間に席巻した観のあるハイテク・インターネット技術は、日本が一貫して進めてきた偏差値教育にも多大な影響を与えている。記憶力重視の教育は、コンピュータの検索の前には無力と化し、優秀な大学を卒業し、人の知らない沢山の知識を持っているインテリと呼ばれる高学歴者の価値観を脅かすものとなってきている。 いわゆる頭が良く勉強ができるという記憶容量が大きかった人が最高学府に進み、法律を学び、官僚の頂点ともいうべき大蔵省やその他の官僚、各種資格試験(司法・外交官など)、さらには政治家やマスコミ、商社・金融・一流企業のサラリーマンを目指す。日本のエスタブリッシュメントといわれる人達は、デジタル記憶勝者であり、過去の判例・慣例や一度経験したことや習ったことには詳しいが創造力は乏しい。 日本では大学卒業時よりも入学時の学力が高いと言われていて、18歳時の記憶容量で人生行路が決まるという社会システムであり、学歴、資格をひたすらに信じて努力してきた人たちにとって、コンピュータ社会、インターネットの発達は青天の霹靂となりつつある。どんなに記憶力に優れていたといっても、小さなパソコンからインターネットを経由して得られる情報量に比べたら、人の記憶による情報などは何万分の1の能力でしかない。すなわち21世紀は記憶力勝者の時代ではなく、無から有を創りだす創造力勝者の時代となろう。それが、私が来世紀のキーワードに「創造」を選んだ所以である。 今、IT(情報技術)革命により、ハイテク・インターネット関連企業は今後も隆盛が続くことが予測される。しかし、ハイテク・インターネット関連株は実勢以上にもてはやされ、流通量を極端に抑制して株価操作を図っているような手法で、売上高がたかだか数百億円で未だ赤字であったり十分な収益が上っていない企業の株価総額が数兆円と、とても信じられないバカ高値を付け、それをさらに釣り上げながらババ廻しをしている実態を考えれば、いずれIT関連株のバブルは潰れ、最後のババをつかんだ人は大損をつかむことになる。株価は次のものに敏感に関心を示すことから、IT関連株の次には遺伝子工学・バイオテクノロジー関連株が台頭してこよう。そう考えれば、現在の米国のIT関連株バブルはそう長く続くとは考えられない。 同時に、デリバティブという、本来はリスクをヘッジするための手法がやや博打に近い金融商品となり、今や日本の一流金融機関などの紹介により多くの企業にばらまかれているが、このような商品はリスクの割にはリターンを得る確率が低く、安易に手を出すべきではない。博打は寺銭を稼ぐ胴元が、デリバティブはそのシステムを勧める人が必ず儲かる。目下のデリバティブは計算式がブラックボックスで、簡単に例えればサイコロは6面あるのに張った賽の目が当たれば3倍、外れれば没収という博打に近く、どちらが出ても確実に手数料を払わせたうえで、日本人には確率6分の1で当たれば3倍にしかならずに、ヘッジファンドや外資には確率6分の5で当たれば2倍にもなるインチキ博打に近いものである。このままでは、冷戦時に漁夫の利として蓄えた1200兆円の資産が欧米の金融資本に奪還されてしまいかねない。 教育改革が急務 18歳を頂点とした記憶力重視の偏差値教育と自虐的歴史教育は止めるべきで、自らの国家と民族に誇りを持てる歴史観と、正しい世界観が持て、物事に対して自由に発想し、真理の探求に夢と時間をかけ、創造性を培うことのできる教育改革を今すぐ実施しなければ、21世紀には日本は三流国家に陥る可能性が高い。 今年の年頭所感に、私が「創造」をキーワードに掲げたのは、「日本の新しい価値の創造に力を発揮できる人づくり」が、急務な課題であるという危機感からにほかならない。 |
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